家ですからね、そう簡単には建ちませんね。
それしにても、『塀』の次は『森』ですよ。
ついて来られそうでしょうか、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
いやいや、自分でも意外なほど、アナスタシアシリーズに訪れてくださる方が多くてびっくりしています。
まあほとんどが回遊さんか、ありがたくも当ブログの元サイトをお気に入りに追加してもらえていて、毎日更新しているために覗かざるを得ないパターンか…、 何にしたって、いいことです。いい感じです。
もしかしたら、触れずに一生を過ごしていたかもしれないこの「真理」を、半信半疑であったとしても「知る」ことができたという点において、少なからず橋渡しの役割にはなっているのかもしれませんね。
では、この1ヘクタールの家、どんどん一緒に建てていきましょう。
あれ、ほんまに家建ててる!?今日にでも家、建てれてる!?
土地全体の配置、それは『森』
アナスタシアが詩人のように描いた素敵な生きた塀、その塀が気に入ったウラジーミルはいよいよといった感じで、次なる構造物へ思いを馳せようとします。
それにアナスタシアは
「ちょっと待った」
をかけるのです。
男は家を建てる方だ!
ウラジーミルの苛立ちが徐々に大きくなっていく理由は、家づくりが土や木や肥料の話ばかりになり、一向に建築というものに向かわないからです。
1ヘクタールもある土地ですから、それはそれは男のロマンは広がりますよね。
ア「まずは土地全体の配置を考えない?ウラジーミル」
ウ「何の事を言ってるんだい?トマトやキュウリなんかの苗床のことかい?そうだな、そういうことは普通は女がやるからな。男は家を建てる方だ」
子孫たち、孫たちが自分のことをいい言葉で思い出すように、
- 大きな家
- ヨーロッパ風の豪華なコテージ
- 使用人のために小さな家を一軒
土地が広いために働き手も必要で、最低でもこれくらいの家がいるだろうと主張します。
「ウラジーミル、もし初めからすべて正しく造ったなら、使用人は必要ないの。
あなたの身の回りのすべてが、愛をもってあなたに仕える。そしてあなたやあなたの子どもたち、孫たちにも、最上の喜びと愛をもって」
男の人には、これはなかなかすんなり受け入れられる解釈とはいかないかもしれませんね。
神のシステムで土地を肥やす
土地全体の配置とは、どこにどんな建物を置くか、ということではなかったのですね。
その土地を重労働などを必要としない方法で、どうやって生きた土地にしていくか、それをデザインすることなんです。
その最初のプロセスを正しく造っておけば、あとは勝手に土が肥えて肥沃になっていき、そこに『楽園』ができるというのです。
しかし、ウラジーミルの主張も納得できるのです。
「そんなことは誰にでも起こることではないんだ。君の大好きなダーチニク(*ダーチャと呼ばれる郊外の簡易別荘で自家菜園を作っている人のこと)だってそうさ。彼らが持っているのは5アールくらいのものだ。そしてそんな土地でさえ、全ての休日には朝から晩まで働いている。
こっちは1ヘクタールだ。肥料をやるだけでも毎年少なくとも10台くらいのトラックを要するぞ」
ダーチニクたちも経験で、土地に肥料を与えることに納得していると言います。だから、この作業のためには使用人が必要だし、家族だけでやるには骨折りになると。
では、アナスタシアの考えはどうなのでしょう。
「もちろん、土には肥料を与えなければならないわ。でもそのために自分に重労働を課すことはないの。神はすべてを予め考え、あなたにとって単調で肉体の骨折りなしに、理想的な方法で、あなたが住みたい土地の土に肥料を与えるようにした。
あなたがただ神の意識に触れさえすればいいの。あなたの自分の思考だけで決断せず、神のシステムの一体性を感じるの」
おそらくウラジーミルの頭には、「出たで、おい、神のシステム。そんなんで家が建つんかい」って出ましたよね。
それを抑えて、なんとか冷静に問います。
「じゃあなぜ、今はどこにも、神のシステムで肥料が撒かれていないんだ?」
その答えが『タイガ』という森にある
ウラジーミルや私たちにとっての素朴な疑問に対して、アナスタシアはこう答えます。
「あなたは今、タイガにいる。周りを見渡してみて」
- どれほど木々は背高くそびえ立ち
- 幹は力強く
- 木々の間には草や茂みがあり
- キイチゴやスグリがあり
- 膨大な種類の植物が生えている
しかも人間のために。
「過去数千年の間、一度たりとも人がタイガに肥料をやったことはない。それでもこの土地は肥沃のままでいる。
あなたはどう思う?
誰がどうやってこの土地に肥料を与えたと思うの?」
なぜタイガではいろんな肥料を必要としないのか?
これが神のシステムなのだとアナスタシアは自信を持って言います。
「タイガでは、神の意識とシステムが、人間が現在暮らしている場所ほどには妨げられていないからなの」
それはかなり明瞭で、
- 木々から葉が落ち
- 風が小枝を吹き飛ばす
- 葉や小枝やミミズのような虫たちによって肥沃になる
- 生えている草たちが土壌の成分を調節している
- 灌木たちが余分な酸やアルカリを取り除くのを助けてくれる
特に『葉』というものはすごくて、
葉は、星も、太陽も、月も観てきた。ただ観ているだけではなくて、それらと互いに交信し合っていたのだから。
だから何千年経とうと、タイガの大地は、植物が実を結ぶ土であり続ける」
一人ひとりがタイガを設計するの!
私たちが家を建てる土地は残念ながらタイガとは限りません。
むしろ、タイガでは全くないでしょうね。
だからこそ、自分の意識を神とつなげて、直感的に感じて造り上げていく必要があるんですね。
そして、思い描けたとして、最初のプロセスはやはり大掛かりになるでしょう。
アナスタシアは、
「各々が自分の意識を、魂を、そして夢を結集させて造り上げるのがいいと思う。自分にとって何がより受け入れ易いか、そして何が子どもたち、孫たちに歓びをもたらすかを直感的に感じられるわ。
画一的な設計は不可能。設計図は個人的で、まるで創作者、芸術家の偉大な絵画のようなもの。一人ひとりに自分の設計図がある」
いや、それでもやっぱり何かヒントを頂けたらなぁ…。
「それでも一例として話してくれないか。大体のことでいいから」
でかした、ウラジーミル!
これがアナスタシアの設計図
「いいわ、そうね、少し図面を描くわね」
この流れはいいですね。
1ヘクタールですから、夢は多少描けそうですが、タイガで暮らすアナスタシアが描く設計図を参考にしたいですよね。
ただし、大事なことを理解した上で。
「すべては神によって、人間のために、人間が幸福となるように創られた。あなたは、人間は、周囲のすべてをコントロールすることもできる。あなたは人間なの!
自分の魂で理解し感じ取ることができるはず、何に真の地上の楽園があるのかを……」
このアナスタシアの心からの思いを忘れないようにしないといけません。
永遠に成長する宮殿
荒れ地に私たちの土地がある。
土地は生きた塀で囲まれている。
では、そこから…。
「土地の3/4または半分を森に仕立てましょう」
ここから一気に宮殿が出来上がりますよ〜。
- 色々な種類の木々を植える
- 残りの土地と森との境界に沿って、低木の中から、動物たちが中を通れないようなもので生垣を造る
- 森の中に、苗木を密に植えて家畜の囲いを造る
- そこに後々山羊が1頭か2頭住まえるようにする
- さらに苗木で、卵を産む雌鶏のための隠れ場所も造る
- 菜園には、2アール程度の深くない池を掘る
- 森の木々の中には、イチゴの周りにキイチゴとスグリを植える
- 後に木々が少し成長したら、森の中にミツバチのための空の丸太巣箱を3つ置く
- 暑さを逃れてあなたが友達や子どもたちと話ができるように、木のあづま屋も建てる
- 夏用のすがすがしい寝室とあなたのアトリエも建てる
- 子どもたちの寝室や客室も
すべてに、自分の好みと意図、そしてそれ自体の意味に合わせて目的を与えることだけをすればいいと、アナスタシアは言います。
その教科書のような本のような存在が「森」だと。
すべてが父なる神によって「森」という本に綴られていると。
- 木の立ち方、それ同士の距離感
- 木々の間に立つ低木の役割
- 自分の周りに草や低木が生えるのを許さない木、それの活用方法
こういうものが、どう私たちの暮らしを愉しいものにしてくれるかを考えるのです。
それが設計図なんですね。
「あなたの土地にあるものすべてが、あなたを愛しみ、愉しませ、あなたの子どもたちを慈しみ、そして養ってくれる」
アナスタシアはこう断言するのです。
不要なものなどない畑
続いては、こんな心配をウラジーミルは投げかけます。
「皆を食べさせるためには畑を作らなければならないね。でも畑仕事ではどうしても汗をかくだろう」
そうですね、畑仕事はなかなか大変ですよね。しかもちゃんと実をつけて皆が食べられるだけの収穫を得ようと思うならなおさらです。
これも、目的さえ与えてやれば、私たち自身の意思でコントロールできると言うのでしょうか?
それが、言うんですよ!
「信じて、ウラジーミル、畑だってそれほど労働をかけないように作ることができるの。そしてそこではよく観察するだけでいい。
森の中ですべてが育っているように、草の間にだって野菜も育つことができるはず、とびきりおいしいトマトやキュウリが。
周りの草が刈られていない時の野菜の味は、あなたにとって何倍も心地よく、そしてもっと身体にいい効能をもたらす」
一体どうして、土をずたずたにしながら毎年同じ場所をしつこく耕すことができるの?
それは文字通り塞がらない傷を鋤で引っ掻き、さらに傷口から恵みをもたらせと要求するようなもの」
意図を純粋にし、神の意識に触れ、神のシステムですべてがコントロールされた時、
すべてが偉大な調和の中で育ち、その中で実った作物は調和のとれたものになる、
それが不要なものなど何もない実りの畑なのですね。
すると人間がすることは残っていない?
最終的に、すべてがアナスタシアの言うようにうまくいったとしたら、人間は、
- 肥料もやらず
- 除草もせず
- 毒や害虫と闘いもせず
- それらに時間を割く必要もない
ですよね。
すべてがそこで自然に自力で育っていく。
ウラジーミルには素朴な疑問が湧いてきました。
「すると人間がすることは残っていないのかい?」
そのときにその土地こそがまさに『楽園』となるのです。
「楽園に暮らすこと。神がそう望まれたように。そしてそんな楽園を築くことができる人は、神の意識に触れ、そして神とともに新たなる創造を生み出すことができる」
すでに、世界中でこの『楽園』を創り出している人がいるとも言われています。
次なる創造とは一体なんなのでしょう。
しかし、まずは自分の祖国を取り戻すこと、その前にいまの住まいについて考えをちょっとシフトすることの方が先かもしれませんね。
まとめ
まだ家建ってませんけどね、これが家に関する真理だというわけです。
みなさんはきっとなんとなくでも理解できますよね。
可能か不可能かと言う議論は別として、理解はね。
ところがメグレ氏は全然わかっちゃいないんです。この話の続きで、
「煉瓦造りの二階建ての家、トイレやお風呂、ボイラーなどはどうする?」
こんなことを言い出すのです。
もちろんアナスタシアも否定はしませんが、その物が『善のために働くようにすることが可能なら』という条件は必要だと言います。
そして、極めつけには、「あんまり多くの労力を費やして大きくて丈夫な家を建てても、その家は孫たちには必要ないの」と一蹴です。
「孫たちは、祖父が植えそして彼らの父や母が愛した木々で自分たちの家を立てる。その家が彼らを癒し、悪霊から護り、そして彼らを光に向かって奮い立たせるように導く」と。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。