森の中で暮らす隠遁者であるアナスタシアたちは一体何者なのか?㉓

アナスタシア

アナスタシアシリーズの第1幕がいよいよ終わりを迎えます!

みなさん、生活の中にアナスタシアが息づくようになりましたか?

私の、こんなかいつまんだネタの切り貼りでは、なんとも言えない消化不良のような気分になっていませんか?

すでに本の方に移行して、そっちでどっぷりアナスタシアの世界にのめり込んだ方もいらっしゃるかなぁ。

それなら私は感涙ものです! スーです。

本日もお越しいただきありがとうございます。

洗脳洗脳と、メディアに出てくる洗脳された人を見て嘲笑っている、心の芯からマスコミに洗脳されている人たちの中から、一人でも二人でも、目覚めることができたなら、それはアナスタシアの力が及んでいる証拠ではないかと思います。

これ、アナスタシアとメグレ氏による洗脳??

・・・。

まぁ、いろんなことが洗脳であることは確かです…。

気を取り直して、第1幕をキレイに閉じられるように、頑張ります!

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メグレ氏の中に湧いてきた疑問

アナスタシアと別れてから、メグレ氏の頭の中は彼女のことと彼女の不思議な力のことでいっぱいでした。

科学雑誌や、超常現象と人間の能力についてとか、シベリアの土地の歴史についてとか、そういったテーマについて書かれた本をたくさん読みあさります。

そして、氏の中に、現代人の生活についていくつかの疑問が生じてきたのです。

教育と育児に関する疑問

教育と育児に関しては、アナスタシアの考えや方式を実際に見聞きしてきたメグレ氏だからこそ、現代のシステムに関して今まで何も思わなかったことが、逆に疑問となってふつふつと湧いてきたのではないでしょうか。

今日われわれの世界で主流になっている教育と育児のシステム、

巨大な教育システムであり、このシステムにもとづいて子供たちを教育し、われわれ自身もこれにもとづいて教えられてきた。
幼稚園、小・中学校、高校、大学、大学院とずっと。

これは、

  • 人生における優先順位を正しく設定するための知恵を十分に与えるものとなっているか?
  • 人間存在の本質とその目的とを、本当の意味で知るための助けとなっているのか?
  • 逆に妨げとなっていないか?

この疑問は、メグレ氏の中で未だ解決していないと言います。

本質とは何かすらあやふやになってしまい、これまで何十年と信じてきたものが崩壊しかけているんです。

疑問がたくさん出てくることも、それがすんなり解決しないことも当然のことですよね。

この本物か偽りか判断できなくなった、巨大で誰もが当たり前のように受け入れているシステムによって、

  • 今日の日々の生活をつくりあげ、
  • その助けを借りて自分自身の幸せを築こうとし、
  • 宇宙や原子、そしてさまざまな異常現象についても、知りたい、理解したいと願い、
  • 活発に議論することを好み、
  • 新聞や科学雑誌などでも取り上げられる

という現実が立ちはだかりますね。

これについては、二度目以降にアナスタシアに会うことによって、また自分の息子と接することによって変化し、さらに戸惑い、訳が分からなくなっていくという続きがあります。

しかし、この本を読んでいく中で、もしくはすでに読む前から疑問に感じている方は多いと思います。

なぜ、小さな子は母親から離れて幼稚園や保育園にに行くとき、決まって狂ったように泣くのか…。

なぜ、小学校へ行くといじめという問題と遭遇するのか…。

なぜ、みんなと同じことを同じようなレベルでやり遂げなければいけないのか…。

学歴ってなんやねん。逆ギレ…。

疑問にフタをする事は、簡単で楽です。みんなと同じことをしていれば誰も何も文句は言いません。

それって、宇宙から見たときどんな光を放っているでしょうか。きっと薄暗く輝きは持たず、弱々しいものではないでしょうか。そこには暖かな愛や善の反射の光は皆無でしょう。

決して取り上げられない現象

こういった、現代の教育の基本システムや科学的結論をいとも簡単にくつがえし、日常生活を嘲笑する結果になり得るひとつのある現象があることに、メグレ氏は気づくのです。

決して取り上げらず、周到に避けられて、議論されることもなく、それについて話すことさえ恐れている現象が。

私たち自身も、それについては考えまいとし、そんなものは存在しないと思い込もうとしているのです。

しかし、どんなにそこから目をそむけても、あるいは逃げても、その現象は厳然として存在するのです。

「今こそ、その現象をありのままにしっかりと見て、多くの頭脳を結集し、この問いへの答えを見出すべきときなのではないか」

その現象とは??

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なぜ彼らは隠遁するのか?

メグレ氏は気付いたのです。

なぜすべての偉大な思想家は、例外なく、その教えを生み出すまで、自然の中で隠遁生活をするのか?

なぜ彼らは隠遁するのか?

しかもなぜ大部分が森の中なのか?

のちに、おびただしい数の人々が従おうとする、宗教的、哲学的教えを説く偉大な人物が、なぜどこかの最高学府の研究院ではなく、森の中に入っていくのか・・・。

森の中で彼らに何が起こったのか、どこにも何も書かれていない

この奇妙な問いは、アナスタシアとの出会いから少したった頃、少しずつ生まれてきて、メグレ氏は隠遁者について書かれたものを見つけては、手当たり次第に読みあさります。

旧約聖書のモーゼ

モーゼがなぜあれほどの長い期間をひとり荒野で過ごし、そののち、石板に刻まれた知恵を世界に示したのか?

イエス・キリスト

キリストはなぜ弟子たちさえも遠ざけて、砂漠や山や森にひとり入っていったのか?

ゴータマ・シッダールタ

ゴータマ・シッダールタはなぜ6年もの間、森で隠遁生活をしていたのか?

彼は森から戻り、人々に教えを説き、その教えは数千年後の今日もなお、多くの人の心を揺り動かしている。人々は大きな寺を建て、この教えを仏教と呼び、彼はのちに釈迦と呼ばれるようになった。

セルギー・ラドネシスキー

ロシアの修道士で神秘主義者の、セルギー・ラドネシスキーはなぜ森に入り、隠遁生活をして、短い間にあれほど深い知恵を得たのか?

世界の王たちが地の果てから道なき道をたどってまで、彼に会いにきたのだ。

彼の隠遁地には修道院や大きな寺院が建てられ、今日でも多くの人々を惹きつけている。

これらはすべてたった一人の隠遁者からはじまっているのだ。

なぜなのか?

何が、あるいは誰が、彼らがこうした知恵を得るのを助けたのか。

何が彼らに知識を与え、存在の本質についての理解に導いたのか?

森の中で隠遁生活をしていたとき、彼らはどのように暮らし、何をして、何を考えていたのか?

誰がその暮らし方を彼らに教えたのか?

メグレ氏はその答えを見つけることができていません。

なぜなら、森の中で彼らに何が起こったのか、それについてはどこにも何も書かれていないからです。

森の中でのことを隠遁者たちは公言していないということですよね。

隠遁者が残した教えはたくさん残っているのに、森の中での出来事は一切出てきていない、これはとても奇妙です。

その答えを、多くの人々の努力を結集して見つけるべきだとメグレ氏は言っています。

すでにそう言った動きも出てきているかもしれませんね。

それくらい、メグレ氏の書いた本の影響は大きいと言えるのです。

ひとつだけ言える確かなこと

そんなメグレ氏が、これまで見聞きしたすべてのことを踏まえて、ひとつだけ言える確かなことがあると断言しています。

「アナスタシアを含めて森の中に隠遁者として暮らす人々は、われわれとはまったく異なる角度から、人生に起こるすべての現象をとらえているということだ。

アナスタシアの考えをいくつかとってみても、一般的に考えられていることと180度ちがっていることが多い」

確かにそうですね。

しかも、そういうとらえ方をわざとしているのではなく、そういう考え方でしか生きていないという感じではないでしょうか。

要は、何ものにも洗脳されていない、神から授かったすべてのものを最大限に活かして生きているという風にも映ります。

それともう一点、メグレ氏が合点がいったことがあります。

アナスタシアが、ただ村の娘の口真似をして「愛してるわ、ウラジーミル!」と叫んでしまったために、愛の感情がアナスタシア自身の中にも生まれてしまった、などということが本当にありうるのかについて、

「なぜ十分な意味もこめずにしばしば口にするこのシンプルな言葉が、アナスタシアに影響を与えたのか?

しかも私のような、年齢も、価値観も、ライフスタイルも、すべてが違う相手にたいして」

科学雑誌もこの問いには答えてくれなかったのですが、なんと、答えが聖書の中にあったのです。

『初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった』

「聖書の中のこの一節によって、多くのことが一度にはっきりしてきた。ずるさや欺くことを知らないアナスタシアは、意味を含まない言葉を発することができないのだ」

それについてはアナスタシア自身も話していました。

「そのとき、私は大変なことを忘れていた。中身の伴わない空っぽの言葉、うわべだけの言葉は私の口から出てこない、それを忘れていた。私の口から出る言葉はつねに、気持ち、意識をすべてありのまま表現していなければならない

このことが、単なる偶然などではないということは、すでにみなさんならお分かりでしょうけれど、それほどまでに言葉に乗ってくる意味や意識ということの重大さを、身を以て私たちに示してくれているようにも思えます。

メグレ氏に課せられた仕事

メグレ氏ははっきりと自覚します。

今、自分に課せられた仕事があると。

いったい誰が真実に近いのか?
誰がそれを判断するのか?

「私はシベリアのタイガでの3日間の出来事と、アナスタシアとの出会いがもたらしたそのときどきの私の気持ちをここに記していこうと思う。

自分が見たこと聞いたことをただありのままに記述することによって、それを読む人々に何らかの反応を呼び覚ますこと、また、これを読む誰かがこの現象の本質を理解し、われわれのあるべき生き方をしっかりとつかめるかもしれないーーーーそんな望みを抱きながら」

そして、アナスタシアの言葉をすべて思い出すうちに、メグレ氏はふと気づくのです。

彼女が望んでいることをやってみないわけにはいかない、と。

そうしなければ、残りの人生をさまざまな疑問にさいなまれ、アナスタシアの夢を裏切ったという自責の念に苦しみながら終えることになる、と。

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まとめ

人は、疑問が生まれたときに初めて、いまいる場所からどんどん別の景色が見えるところへと上がっていくのかもしれません。

疑問や知りたいと思うことがない人生なんて、面白くないですよね。

解決できるかどうかではなく、それを知るために動くことに意味があると思います。

メグレ氏は決断します。

アナスタシアの夢を、少なくともその一部を、現実のものとするために、少なくともそれを試みるために、モスクワへ向けて出発したのです。

いよいよ、ここから一起業家の人生のどん底と転換が始まっていくのです…。

あなたの心にもありませんか?長い間知りたいと思っていることが。それを知ることなく人生を終えることに満足できますか?

本日も最後までお読みいただきありがとうございます。



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