アナスタシアの本に書かれていることが、本質っぽいと思って読み進めれば、
その世界観に感動して覚醒したとさえ思い陶酔する自分がいるだろうし、
本の内容が、裏の裏をかいて、実は闇の勢力の思惑なのかもしれないと疑い始めると、
ここまで巧妙に人を騙すなんてどうかしていると憤慨することになるかもしれません。
宗教といわれるものは多かれ少なかれ、すべてこういったシステムにのっとって動いているのではないでしょうか。
信じてしまうこと、そこにはそれなりの危険もあります。
しかし、信じきって、自分の心が満たされて、幸福感のうちに一生を終えることができるのであれば、それはきっとその人にとっての本質であり、真実なのかもしれません、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
本やネット、テレビやラジオ、いろんな情報ツールが私たちの身近に氾濫しています。
さて、本質とは一体それらのどこにあるのでしょうか?
昔からある紙媒体である『本』?
最新でどんな人でも情報をオープンにできる垣根の低い『ネット』?
ごく限られた人だけが発信できるが圧倒的な信頼度を持つ『テレビ』?
テレビほど制限はないけれどテレビよりも歴史が古い『ラジオ』?
そんなとこに本質があるのなら、世界はこんなに混乱しなかったと思いますが・・・。
ウラジーミル・メグレという人物
私はまだ4巻までしか『アナスタシア』シリーズを読んでいないのですが、わりとすんなりと作者のキャラクターに好感を持ちました。
こういった類の本は、本当にどこまでがナチュラルでどこからがビジネスなのか、判断するのは難しいと思うのです。
結局、この『アナスタシア』も、これこそが支配者層の立場でものを言っているとか、アナスタシア自体がそっちの系統だとか、そんなことも言われたりしていますね。
どっちにしろ、自分の心、他人本位ではない、本当の心の奥底にある自分というもので読んでいけば、すべてクリアになる気もします。
では、この本の著者であるウラジーミル・メグレ氏とはどんな人なのでしょうか?
ただ、たまたまアナスタシアの発した言葉の背景に存在していただけの人物なのでしょうか?
それとも、本人さえも気づいていない、もっと深い資質を持ち合わせた稀有の人なのでしょうか?
アナスタシアと同じくらいの能力がある人物とは?
タイガの森に住むひとりの女性、神秘的で私たちの想像をはるかに超えた能力を持っている女性、それと同じくらい優れた素質の人間が、タイガまで行かなくても近くにいるとしたら?
とても興味がありませんか?
俗っぽいですね〜。
しかし、メグレ氏はしっかりとこれを聞き出してくれるのです。
この質問は、一見ミーハーな私たちと同じような感覚を持ち合わせているメグレ氏だからこそできたかのように思えますが、その答えを聞いてみると、
あー、これ、言わされたな。
と意地悪なことを思ってしまうほどの結末にたどり着くのです。
ウ 「われわれの世界にきみと同じくらいの能力と知識をもっている人々はいるのかい?こんなに遠くに住んでいる人じゃなくて」
ア 「地球上のさまざまな僻地に、技術優先主義とは異なる生き方をしている人々がいる」
「彼らはいろいろな能力をもっている。でも、あなた方の世界にも、冬でも夏でも容易に会いに行ける人がいる。彼の霊性の力はとても偉大」
ウ 「その人がどこに住んでいるか、きみは知っているのかい?私が会って話をすることはできる?」
ア 「できるわ」
ウ 「それは誰なんだい?」
ア 「あなたのお父様よ、ウラジーミル」
いかがですか?
またはっきりと言い切りましたねー。
本当?
アナスタシアジョーク?
さてどっちでしょう♪
父はすでに亡くなっているはず!?
メグレ氏はアナスタシアの言葉を聞いてどんな反応をしたと思います?
それが、意外な答えが出てくるんですよ。
「きみが言っていることが正しいという証拠が本当にほしかったんだが、逆になってしまったよ。私の父は18年前に亡くなって、ブリャンスク州の小さな町に葬られているんだ」
アナスタシアは、これまでそんな凡ミスを冒したことはなかったので、途方にくれたことでしょう。
メグレ氏もそう思って彼女を慰めたりします。
少しパワーを使いすぎて、本来の力を十分に発揮できなかったのかもしれません。
しかし、アナスタシアはこう言います。
「たしかに私の力は弱くなっているわ。でも、まちがうほど弱ってはいない」
そして彼女は、26年前に起こった出来事について、正確かつ詳細に、人それぞれの気持ちまでを添えて語っていくのです。
父は父でもそっちの父ね
26年前、それはアナスタシアがこの世に生まれた年でもあります。
そして、アナスタシアが生まれたその日に、一人の若者がとある修道院の門をくぐり、中に入っていったのです。
その修道院とは・・・モスクワからさほど遠くないところ、セルギエフ・ポサドという町にある『トロツェ・セルギー大修道院』です。そこには、古い城壁に囲まれて、神学校とアカデミーといくつかの教会と修道院があります。
信者たちが迫害されていた時代でさえここは破壊されず、祈りたい人は誰でも入って祈ることができたそうです。
若者が教会に入って見た人物、それが、
ファーザー・フェオドリ
だったのです。
トロツェ・セルギー大修道院の主席司祭であるフェオドリ神父の説教に、耳を傾けていた若者は、説教が終わると神父に近づき、説教についての感想を話し始めたのです。
この、
- 洗礼は受けていたが
- さほどの信仰もない
- 断食も守らない
- 聖体拝領もしない
- 定期的な礼拝参加もしない
そんな若者にも、フェオドリ神父は紳士的に対応しています。
そして、だいぶ長く話をした二人の間に、この日友情が芽生えたというのです。
まさにこの若者がメグレ氏ですけどね。
フェオドリ神父
不思議な縁で結ばれたこの二人ですが、その後も数奇な運命を辿らざるを得なくなります。
それが、アナスタシアとメグレ氏の関係性がそうであるように、
偶然のようで必然?
必然のようで偶然?
という感じに見えるのです。
当の本人は、この瞬間まで全く気づいてはいませんでしたけど・・・。
フェオドリ神父の片思い!?
特に強い信仰心もなく、なんとなくその修道院に通っていたように見えるメグレ氏でしたが、神父と友情関係になった時から、二人の距離がどんどん縮まっていくのです。
特に、どちらかというと、フェオドリ神父の方がメグレ氏に片思いをしているようなエピソードが出てくるのです。
いくつか挙げてみますと、
① メグレ氏が修道院にやってくると、神父は彼と話をし、ふつうの教区民は見ることができない聖なる品々を見せた。
② 神父は彼にさまざまな本をあげたし、彼の首に十字架もかけてあげた。
③ 神父は彼に2個目の十字架をあげた。その十字架はめったにない形をしていて、十字架のところがロケットのように開くものだった。
④ 神父は彼を食事にも誘い、ほかの修道士たちと一緒のテーブルにつかせて共に食事をした。
⑤ 毎回神父は彼にささやかな小遣いをあげた。
⑥ 何にたいしても決して彼を叱らず、その訪問をいつも心待ちにしていた。
引用:「響きわたるシベリア杉」ーフェオドリ神父ー
どちらかというと、どころではないですね。
完全に天秤傾いてますね。
しかも、神父から頂いた品々をメグレ氏はいとも簡単になくしてしまうのです!
本も2個の十字架も!
人としてどうですか!?
さらに、この毎週会う関係が1年間続いた親交も、ある日突然メグレ氏が来なくなって途絶えてしまうのです。
1ヶ月が過ぎ、1年が過ぎ、それでも神父は待ったのです。
フェオドリ神父の直感
25年が過ぎた今でも、神父は彼を待っていると、アナスタシアは言います。
なぜ? なぜ神父はここまでメグレ氏に肩入れしているのでしょう?
アナスタシア曰く、それは謎だそうです。
神父は直感的にメグレ氏に何かを感じ取った。メグレ氏に何かを期待している。
アナスタシアが当時の二人の心境を細かく再現できないのは、それが神父の計画通りの行為ではなかったからだと言います。
「彼はただ直感的に何かを予期し、あなたのために、彼だけにわかる何か、偉大で意義深い何かをしたのだと思う。私もただそれを直感的に感じるだけ。彼は何か意義深いことを考え、そのために多くのことをした。本当に多くのことを……」
アナスタシアが半ば怒りを伴ったように、さらなる謎について話します。
「なぜ彼が自分の願いをあなたーーーすみやかに信仰に至るための初歩的な能力も持ち合わせていないあなたーーーに託したのか、それは謎のままだし、なぜ、あなたの25年間にわたる自堕落な生活が、彼の信念を消し去ることがなかったのか、これもまた謎よ」
きわめつけは、
「なぜあなたは、こんなにも多くを与えられていながら、ずっと何もしないままでいるの?私には理解できない」
とまで!
しかし、メグレ氏が当時の状況や心境を思い出してくれたら、何かがわかるかもしれません。
25年間もの間、神父に手紙ひとつ書かずにいたメグレ氏ですが、アナスタシアの手助けもあってポツポツと断片的に思い出していきます。
フェオドリ神父がメグレ氏に施したこと
フェオドリ神父は、25年間、全く変わらずメグレ氏のことを信じていました。
幾度となく破滅の縁に立たされてきたメグレ氏を、最後の瞬間に救っていたのはフェオドリ神父の祈りのおかげだったのです。
そこまでするほどメグレ氏に何かを感じ取った神父が、何を彼に託したのでしょう?
アナスタシアとメグレ氏は一生懸命記憶を辿ります。
これらは何を意味するのでしょう?
さらに、神父が言ったこと、何かひとつの文でもいいから正確に覚えているものを教えてほしいとアナスタシアは強く言います。ほかのすべての言葉とのつながりは忘れてもいいからと。
「言ってみて」
と何度か促しても、メグレ氏はなかなかそうすることの意味を見出せず、はっきり言及しません。
そのとき!
「そうだ!わかった!」
とアナスタシアが叫びます!
手をたたき、嬉々として話し始めたのです。
何も教えないことで大切なことを教える
アナスタシアがわかったこと、それは、
「彼は最も大切なことを教えることで、世界の教えの多くをこっけいなものにしてしまった」
最も大切なことと言われても、全く心当たりがないメグレ氏です。
フェオドリ神父とメグレ氏は、教えみたいなことは何も話していず、普通の日常のことについて話していただけだと言います。
これらの行為が、実はどんなに偉い宗教家の教えよりも偉大で壮大なことであるか、それにアナスタシアは気づいたのです。
「彼にくらべると、改宗を勧める人たちはこっけいとしか言いようがないでしょう?海外からロシアになだれ込むようにやってきて、自分たちの教義を解説して、人々の目を最も大切なことからそらさせている」
「フェオドリ神父があなたをそういうドグマからあまりにしっかりと防御したので、あなたは私のことさえ、世間知らずの世捨て人としか考えない。問題は最も大切なことから逃げないということ」
賢者といわれる人たちが残した、世界中で崇められている経典、それらを知ることよりももっと大切なこと。
もうお分かりですよね?
すべては最初から、誕生の瞬間から、人間の内に与えられる。
腕や脚や心臓や髪の毛と同じように。
世界中の教えや発見のすべては、この源からのみ生まれたもの。
引用:「響きわたるシベリア杉」ーフェオドリ神父ー
それをすっかり忘れて、自分の外で感銘を受けた教えや教義に夢中になったり、それをほかの人たちに熱心に訴え強要する、それは本質からどんどん遠ざかっていくことなのかもしれません。
「真実を知ることは、それを公言するところにあるのではなく、それを生きるところにある」
アナスタシアが気づいたことはこれだったんですね。
まとめ
はい、本質は自分の中にありましたね。
どこまでいっても、結局は全然本質を知ることのできない生活をしてしまっている私たち。
そしてまた、こうやって本質、本質言うてること自体が、こっけいなのかもしれません。
アナスタシアの本についてちょっと調べたりしていると、世界の闇の部分や裏の部分らしいことにぶち当たることがあります。
そういう情報に触れたときに、心が揺さぶられ、どんよりした気持ちになって、何が本当なのかがわからないだけに気になって仕方がなくなる自分、この状態はまさに本質からどんどん遠ざかっているといえますね。
みなさんも、外に求める生き方から、内に見出す生き方にシフトしていかれることをおすすめします。
でも、たまには、こちらのサイトにお越し下さいね♪
次回は、メグレ氏がフェオドリ神父に会いに行きますよ!果たして26年ぶりの再開はどのような展開になるのでしょうか!?
これは覗いてみるしかありませんね!
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。