アナスタシアが、釈迦やキリストのような人格者だったとしたら、その存在と同じ時代に生きている私たちはものすごい奇跡の命だと言っても過言ではないのではないでしょうか。
その存在を知り、共感し、畏敬の念を抱き、何か自分でも世界を変えるアプローチが出来ないかと考えることがなくもないですが、自分の性格の嫌な面すらもなかなか変えられない私に、世界の何が変えられるというのでしょうか、はがゆいですね。スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
みなさんはいかがでしょうか?
気づけば16話目になっていた「アナスタシア」ですが、記事を重ねるにつれ読者の方がうんざりして減ってしまうかもしれない、スピリチュアルの話だと一笑されてしまうかもしれない、と不安でした。
ところが、本当にありがたく嬉しいことに、記事を重ねても見てくれている人が減るどころか、いい感じに増えてきています。
身近な人では私という人格が邪魔して「アナスタシア」についてうまく伝わらない気がします。
この世界のどこかで誰かが私の「アナスタシア」についての見解を読んで下さっているのかぁ、と思うとますますやる気になってしまいます。
本を読まれると一番早いのですが、そのきっかけ作りだと思って、今日もアナスタシアと心を通わせていきましょう♪
*またまた導入部分が長文に…、これによって自分を鼓舞しているのでしょうね。ここをサクッと簡単にまとめることはもはや不可能なのかもしれない…。
ダーチュニクなる人々
アナスタシアがいつも熱く語るのは、子育てと「ダーチュニク」についてでしたね。
植物と交信する人々に訪れる幸運については、本当に懸命に証明しようとしていました。
私たちにはあまり馴染みがないですね、「ダーチュニク」
では、そこから紐解いてみますね。
ダーチャを耕すダーチュニク
ロシア、旧ソ連圏で一般的な菜園付きセカンドハウスのことを【ダーチャ】といいます。
ダーチャ所有者は【ダーチュニク】と呼ばれ、その様式や形態は様々です。
物置小屋程度のものであったり、サウナやプール付き、本格的キッチン、子供の家まで備えた贅沢なものまであります。
普段は近郊の都会に住まい、週末のみ利用する持ち主が多いですが、特に夏の間は盛んに利用され、夏休みに家族揃って長期間過ごすケースも多くみられます。
ただ単に日本の「兼業農家」のようなものではなく、ソ連時代の経済混乱によるハイパーインフレや給与未払いによって、日々の食料調達もままならなかったロシア国民が、自給自足という最終手段で食料や現金収入を得る生き残るための最後の場でした。
そして、これこそがロシアという国の知られざる力となっていたというのです。
ダーチュニクが人々を救う
アナスタシアは、ダーチュニクが人々を飢餓から救い、人々の魂に良き種を蒔き、未来の社会を育てていると固く信じています。
実際に、1980年代に大国ソ連が崩壊しても国民がなんとか生き残れたのは、都会人口の5割、地方の9割が農園を持ち、1億人を超えるダーチュニクがそのダーチャで植物を育て続けたからかもしれませんね。
彼女のダーチュニクへのこうした考えには根拠があり、それを証明しようと懸命なのでした。
私たちが住んでいる社会は、ダーチャで育てられている植物と交信することで、多くのことを学べるというのです。
ダーチャの菜園で土いじりをすると、
- とても気分が良くなって
- 健康になり
- 長生きでき
- 心も穏やかになる
このような恩恵に与ることが出来、
逆に、人間味のない畑、
- 愚かなモンスターのような機械が這い回っている広大な畑
- 技術優先主義で突き進む破滅的な畑
というようなものでは、ネガティブな影響を与えると。
育てている人がその植物を熟知しているからこそ、植物が人間に反応して交信出来るのだと言います。
その人のもつ愛や憎しみの感情をさらに強化し、健康にもポジティブあるいはネガティブな影響を与える
それが植物が持つ役割と目的だと、アナスタシアは言います。
ダーチュニクも本当の目的に気づいてはいない
アナスタシアは1日の大半を、ダーチュニクとの交信に費やします。
「ここにも、やるべき仕事がたくさんあって、私はダーチャの庭のことで本当に忙しい」
「でも残念ながら、彼らの植物への関わり方は直感的なもので、人間と植物の結びつきの本当の目的に気づいていない」
そういうダーチュニクたちの思考や推測をちょっと手助けすることによって、彼らが自分で気づいたと思い、そのことを他の人に伝えていく、こんな風にささやかな形で一つの情報を成就させていくことにアナスタシアは時間を費やしているのです。
私たちが、土や草や葉に触れる時間は、1日のうちにどれくらいあるでしょうか。
その時間にどれくらいの意味があるのかを理解できない限り、そこに多くの時間を費やそうとは誰も思わないかもしれませんね。
草の葉1枚、昆虫1匹全てが人間のために存在する
「地球上のすべてのものはーーー草の葉1枚、昆虫1匹にしてもーーー人間のために創られている」
このセリフはアナスタシアの本の中でたびたび出てきます。
アナスタシアがこのことを真に人間が理解することを願っているのがわかりますね。
メグレ氏もそうですが、なんの意識や感情も持たないと思える植物と意識的な交流をするというのは、多くの人がすんなりと受け入れられることではないかもしれませんね。
しかし、アナスタシアが語る、私たちが忌み嫌うような生物にも存在意義があるという明確な話は、大変興味深いです。
ゴキブリも人間の益になる
メグレ氏の質問がいいとこつきます。
メ「きみはすべての虫は人間に益となるように創られたと言ったけど、テーブルの上を這うゴキブリに嫌悪感をあらわにする人たちが、そんなことを信じると思う?」
ア「ゴキブリが這うのは汚れたテーブルだけ」
!!笑
ア「彼らは、人間の目には見えないこともある、食べ物の中の腐ったかすを集めて消化し、無害な排泄物を人目につかない場所に隠す、そういう仕事をしている」
仕事!?そうは思いづらい…。
ア「もしゴキブリが多すぎて困ったら、カエルを1匹連れてくれば、たちまち余分なゴキブリはいなくなる」
こんなに健気な仕事をする「ゴキちゃん」ですが、ではなぜあんな姿形をしているのでしょうか?黒子のつもり?見つからないつもりで黒くて素早いのか!?
しかし、実際東京などの都会の飲食店街ではゴキブリがよく出ますね。掃除を怠ったり、汚れを放置したような場所では、現代の「ルンバ」のごとく私たちの代わりに夜毎腐ったものを拾集・消化してくれているのかもしれません。
私はずいぶん長いことゴキブリを見かけていませんよ♪
雑草にもそれぞれの役割がある
「雑草」という概念はいつからあるのでしょうか?
「雑草の定義」ってそんなんあったんですね…。
- 農学の立場からみて、「作物に直接または間接的に害をもたらし、その生産を減少させる植物」
- 植物生態学の立場からみて、「人間活動で大きく撹乱された土地に自然に発生・育成する植物」
- 一般人の立場からみて、「人間の身の回りに自生する草」
- アメリカ雑草学会「人類の活動と幸福・繁栄に対して、これに逆らったりこれを妨害したりするすべての植物」
参照:wikipedia
アナスタシアはもちろん雑草を除去することについて否定的です。
雑草は、
- 植物を病気から守り
- 植物に補足的な情報を提供することもある
と言います。
それぞれの役割を尊重し、やたらに除去してはいけないということなのです。
ちょっと邪魔だな、作物の害になるな、そう思う前にその草と交信してみてはいかがでしょうか。
どんな辺境にも耐え、ものすごい生命力のある草ですから、その秘めたパワーというのは私たちの想像をはるかに超えているかもしれません。
どの庭にも1家族の蜜蜂が必要
蜂はどうでしょう。
あなたにとって怖い害虫ですか?
それともハチミツを創り出してくれる大変ありがたい虫?
メグレ氏は、蜂を扱えるのはごく限られた人だけだと言い、蜂を扱うには特別な勉強をしないといけないし、それでも難しい場合があると言います。
アナスタシアの「どの庭にも、少なくともひと家族の蜜蜂が必要」という言葉を受けて。
アナスタシアは私たちが持つ「蜂」についての知識や情報についてこう言っています。
「蜂の巣を守ろうとしてあなたがたがやっていることが、かえって蜂たちの生活を邪魔している」
「あなたがたの世界の養蜂家たちのやり方が正しいわけではない。祖父がよく言っていた。現代の養蜂家たちはあらゆる種類の巣箱を開発したけれど、そのすべてが、人間の蜂の巣へのたえまない介入を想定してつくられているって。
彼らは蜂の巣の枠を交換したり、冬には巣箱ごと鉢を別の場所に引きずっていくけれど、これは絶対にやってはいけないことだと言っていた」
「蜂が刺すのは、人が攻撃的にふるまったり、手を降って追い払ったり、怖がったりしたとき、あるいは、必ずしも蜂にではなくても、誰かに攻撃的な思いを抱いているときだけ」
「彼らは敏感に思いを感じ取るし、暗い思いから放出されるものは許容できない」
そして、メグレ氏からの、実際にどういう風にして蜜蜂を飼えばいいかという質問に対しての答えは、
「蜂の巣をつくるだけ」
そして、イメージして出した答えを詳細に説明します。
寸法から素材、作り方、設置場所、設置方法まで事細かに確信に満ちて話し始めるのです。
なぜこれほどまでに「蜂」にこだわるのか、それは、
アナスタシアが教えてくれる方法で作った巣箱を庭に置き、その中に蜜蜂の一群れを放すだけで、そこに蜜蜂のコロニーが形成されるといいます。
実際に行動している人がたくさんいるということですので、蜂と人間との本来の交流がそこには生まれているのでしょうね。
私たちにもたらしてくれる蜂からの素晴らしい恩恵について、全て知ろうと思うとアナスタシアと何週間も一緒に過ごさなければならないそうですが、まずは巣箱を作ってみるというのはいかがでしょうか。
まとめ
私も一時は家庭菜園や、市民農園に憧れました。
自分たちが食べるものを自分達で育てて収穫する。
それを実践できればなんか無敵になれる気がしていました。
実際に、知り合いのご厚意で畑を借りて半年ほど畑仕事をしていましたが、やはりとても楽しかったです。
しかし、それは人間の一方的な植物へのアプローチであり、自分たちが益を得ようとする思いが強すぎる行為だったかもしれません。
その辺に生える草にだって生きる意味や役割がある、そう思って植物と接してみると、同じ行為でも全く違う結果を導いてくれるかもしれませんね。
植物は健気に私たちのために存在している、それは真実かもしれません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。