この世界の本質、地球が平和で明るいままに生き続けられる方法、大災害などを起こさなくても私たち一人ひとりがきちんとそれに気づける方法。
きっとそれは、そんなに難しいことではないのでしょうね。
今日から、今から、誰にでもできることのはずなんです。
そして、私たちの多くは昔からそれをなんとなく知っているのです。
しかし、見て見ぬふり、聞いて聞かないふり、知って知らないふりをして強引に封じ込めているのかもしれません、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
だって、この社会に溶け込んで規律を乱さず、目立たないようにみんなと同じようにしていることが「良し」とされている世界ですから。
本当は、みんなアナスタシアみたいに、何も持たずに森の中で自然と戯れて生きていきたいと、魂の底の底では、そう思っているはずなんです。
神の粒子が私たちの内に必ずあるはずだから。
前回の「朝6時」の記事では、メグレ氏の鋭い指摘に、みなさんも
「たしかに、アナスタシアなんて存在すら知らなかったし、今現在何かを成しているかと言えば・・・特に思い当たらないけれど・・・」
なんて思われたことでしょう。
しかし、もちろん彼女が何もせずにいたわけはありませんね。
ダーチュニクとの交信にふけって自分の正義感を勝手に満たしているだけ、なわけありませんよね。
ダーチュニクと交信を重ねて、助け、一緒に働いてきたのには、大きな大きな理由があるからなのです。
そして、それが実は大きな成果となってとてつもないことを成し遂げていたのです。
ダーチュニクについてはこちらの記事↓↓↓も参考にしてみて下さいね♪
すでにダーチュニクが地球を救っていた!?
ダーチュニクの記事↑↑↑でも書きましたが、ロシア崩壊の際に国民を影で救ったのは、実はダーチュニクだったということでしたね。
『植物』という、神が人間に与えた最高の産物、これに対して何か感謝とか愛とか親しみとか、そんなことを毎日少しでも感じているでしょうか?
・・・。
毎日、感じて、ない・・・。
忙しすぎる現代人の半分以上はそうではないでしょうか?
しかし、もしも全地球の人たちがみんな毎日ちょっとでも、それこそ15分とは言いません5分でも3分でも、植物の健気さに愛を感じてそれを伝えたり、感謝したりするとします。
アナスタシアの言うように、これは本当に地球に何か変革が起きることも十分イメージできるのではないでしょうか。
実際にそれは起こっていたんです。
1992年に起こるはずだった大災害
アナスタシアほどの能力を持ちながら、そのほとんどを20年間に及ぶダーチュニクとの交信という地味な働きに費やしていることがどうしても理解できない、もはや呆れてしまっているメグレ氏。
ついに精神的障害がある人、とまで言い出す始末です…。
話題を変えようと何気なく聞いた一言から、まさかの展開が始まっていくのです。
ちょっとその会話を抜粋しますね。
メ 「ところで、きみはそういった大災害がいつ起こると思っているんだい?」
ア 「すでに地球上のいくつかの地点に不安定な地域がある。人間はこれまでずっと、自らを滅亡に導く準備を、十分すぎるほど、あらゆる手を尽くしてやってきた」
メ 「でも、それはいつ地球規模になるんだい? いつその大災害は起こる?」
ア 「それはだいたい2002年頃に起こる可能性がある。でも、1992年のときのように、回避されるか、延期されるかもしれない」
メ 「1992年に起こっていたかもしれないって言ってるのかい?」
ア 「そう、でも、彼らはそれを遅らせた」
メ 「『彼ら』って誰? 誰がそれを遅らせたんだい?」
ア 「1992年の地球規模の大災害は、ダーチュニクのおかげで回避できた」
メ 「何だって?」
証拠はないです。しかも、病気だと思っている人が言っていることです。
信じられますか?
普通はちょっと眉ツバものですよね。
一体地球規模の大災害がどの程度のものなのか、そしてそんなものをダーチュニクという地味な存在がなぜ回避させることができるのか・・・。
わかりませんよね。
答えは、地球を生き物として考えることで自ずと出てくるのです。
地球はとても敏感
アナスタシアの話では、地球はすべての接触を感じ取っているというのです。
地球は大きくて、全体像をつかむことはまず無理です。
私たちの足元の地面が世界中で繋がって一つの大きな球体となりますね。そんな大きな地球ですが、とてもとても敏感だとアナスタシアは言います。
「あなたも蚊よりずっと大きいけれど、その1匹が皮膚の上に着地しただけで敏感に察知するでしょ。
地球も全てを感知する」
地球の痛みとは、
私たちは意図せず地球を痛めつけているのです。
もっと優しく、繊細に、愛を持って地球に接することができればいいのでしょうけれど、車に乗っている時点、家を建てている時点でそれはすでにとても痛めつけていることになるといえますね。
キャンプの際に、テント張りで杭を打ち付けるなんて、イタタタタでしょうね・・・。
地球はそれでも私たちを愛してくれる
これまで何十億年という長い間、地球はどれだけの痛みを味わってきたのでしょう。
想像できないほどであることは確かですね。
それでも地球は、母が子どもたちを愛するように、人々を愛しているのです。
では、人間が犯す『悪』をどうやって受け流しているのでしょう。
「地球は人間のすべての悪意を、地中深く埋めようとする。
地球が力を使い果たし、力尽きたときだけ、その悪意は火山の噴火や地震となって爆発する」
地震大国日本・・・。
悪意が多いのか、それともそういうものの掃き溜めになっているのか・・・。
昔の日本はもっと優しく地球に接していたのでしょうけれど、今はそれを教えてくれる年配者がいないし、うまく伝えられていないのが現状ではないでしょうか。
ロシアの菜園が小さかったから地球を救えた!?
きっと、ほんの小さなアクションであっても、優しさと思いやりに満ちた接し方を心がければ、地球はそれを感じ取り、大きな力に変えていくのではないかと思います。
アナスタシア曰く、地球はそのやさしい接触を敏感に感じ取り、待ち焦がれているのだと。
私たちは、大地は万民のものであり、だれか特定の人のものではないと考えることがほとんどですよね。
ところが、ロシアである変革が起こり、そこから事態は変わっていったというのです。
政府が小さな地所を『ダーチャ』として人々に分け与えはじめた。
この一見普遍的に見える政策が思わぬ救いとなっていくのです。
小さな地所を受け取ったあと、その何百万という人間の両手が、愛をもって地球に触れたのです。
そして、これに気づいた地球は、そこに自身が持ちこたえる力を見出し、結果大災害を逃れたのかもしれません。
ロシアの、各々の小さな菜園で、みんなが喜びをもって愛にあふれた接触を一斉に行ったということが一番の引き金になったのでしょう。
ロシアのダーチュニクのための祝日
この話を聞いたメグレ氏は、実際にどう思ったのかはわかりませんが、病気持ち扱いしたアナスタシアのことをクリニックに連れていくという発想は撤回したのではないでしょうか。
そして、自身もロシア人のひとりとしてやはり喜びを感じたことは確かでしょう。
地球の救い主が実は自分と同じ国家民族だったと聞いたら、単純に嬉しいですよね。
こういうところも、きっとアナスタシアの描いた夢に組み込まれているのでしょうけれどね。
7月23日は【ダーチュニクと全地球の日】
やっと、意気投合してきた二人は、どんどんいろんな発想が浮かんできます。
まず、この救い主たちの記念日を作ろうという話になるのです。
政府を動かすことも考えますが、多数決で決めることよりも先に、一個人が自分で気づいて動き出すことが大事だという結論に。
ここでメグレ氏がやっとノリノリに前のめりになってくるのです。
「私も手伝うよ。どの手段を使うのがわれわれの生活の中で効果的か、私の方がよく知っているし」
ノッてきましたね。
- 新聞に記事を書こうか
- 私が本に書こうか
- 政府や国会に電報を送るよう読者に頼もうか
メ 「ところで、それをいつにするんだい?」
ア 「『7月23日』」
メ 「どうして23日?」
ア 「その日が一番適切だから。それと、あなたの誕生日だから。そもそもこの素晴らしいアイデアはあなたが考えついたことでしょ」
どんどん決まっていきますよー。
具体的に、
- 読者のみんなが書く電報の電文
- 政府高官や国会議員がそれを見て考え始めること
- アナスタシアの光線をその時に送ること
この流れ、みなさんはもうお気付きですよね・・・。
そう、アナスタシアは完全に描き始めてしまっているのです。
具体的な情景を思い浮かべながら、一言一句逃さないように、執拗に描くのです、ひな型を。
しかも、これをダーチュニクだけの祝日にするつもりではなく、すべての人にとっての、
となるように
「大まかなモデルを今すぐ考えるわ」
やっぱり・・・。
アナスタシアが描く祝日
アナスタシアは、文字の一音一音を正確にはっきりと発音しながら、驚くべきスピードで、ひらめきとともに語った。
アナスタシアのスピーチが始まったのです。
そして、そのスピーチのリズム、文の構造、発音の仕方、すべてふつうとちがっていたと言います。
これは是非本で読んでみてくださいね♪
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メグレ氏はこれを聞いているうちに、
「私は自分自身が、人々と席を並べてテーブルについているような感覚になった。それを信じ、というより、むしろすでに起こっていることのように感じながら、私はこうつけ加えた」
気分が高揚してきた様子ですね。
メ 「食事の前にまず乾杯しないとね」
ア 「ウラジーミル、そのテーブルには人を酔わせる毒は置かないで」
メ 「アナスタシア、祝日をだいなしにしないでくれよ!」
ということで、ここは、「果実から作ったワイン」を少しずつすするように飲むことに決まったようです…。
そんなふうに、2人のテンションも上がっていき、どんどん描かれていく祝日ですが、アナスタシアの様子がますます神がかってきて、光を発しながら何か見えない力によって強化されているような感じさえしていたといいます。
さらに、活気づいてダンスをするように回り始めたアナスタシアを見たメグレ氏は、いきなり叫ぶのです。
「ストップ! ストップ!」
一体なぜ?
これはジョークなんだよ
ここで!?
アナスタシアが本気で祝日を受け取っていることに気づいたのがここ?
まぁ、メグレ氏も一緒になって楽しく連想ゲームをしていたわけですから、気づくのが遅くなるのも無理はないですね。
アナスタシアが発するひとつひとつの言葉と、その奇妙な文章構成で、アナスタシアが祝日の情景を型どっていると気づいたようです。
「きみは気づいていなかったのかい? これはジョークなんだよ、この祝日っていうのは! 私はふざけていたんだ!」
もう結構型どってますよ。
アナスタシアが、“まるである種の破壊者でも見るように、痛みと失望とが入り混じった目で”メグレ氏を見つめたのもしょうがないですね。
「ウラジーミル、私はあなたが本気だと思っていた。もう、全部型どってしまったわ。
ーー中略ーー
あなたの言ったことを撤回しないで。あなたの言葉どおり、私の光線で助けられるように、電報のことだけでも私を助けて」
ここは大人のメグレ氏、承諾するしかないですね。
そして、ここに
「今、私はここにこれを記した。あなたの心と魂が命ずるままに行動してほしい」by メグレ氏
まとめ
ここまで読んでくださった方は、どう感じられるでしょうか。
この巻の日本語訳の初版は2013年に出ています。
2002年の大災害は延期されたのでしょうか?
それとも最初からそんなものはなかったのでしょうか・・・。
1995年にアナスタシアと出会い、1996年には自費出版で最初のアナスタシアシリーズを世に送り出したメグレ氏。
すでに10年以上も前の書籍なのですが、妙に新鮮さやリアル感があるのはなぜでしょう。
これがフィクションだから?
こればっかりは絶対ということが言えないところもありますよね。
実際、いろんな説が飛び交っているのも事実ですし、読んだ人自身がどう感じてどう動くか、それだけのことなんですけどね。
今気づいた私たちが習慣を変えて、もっと自然に回帰していく生活にシフトしていったとしても、すぐに世界は変わらないし、どうせまた元に戻るんだから、と言ってしまえますか?
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。