自分でサイトを立ち上げ、ブログ記事を毎日書いてきた結果、1年があっという間にたちました。
信じられないです。
あの1年前の、ただの主婦の私が、今の私を見たらどう思うんだろう…、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
いやいや、いつまでも立派なただの主婦ですが、1年前には全くやっていなかった記事作成やブログ運営をいまは日常的に行っているわけで、それは革命であり、大きな成長なのではないかと自分では思っています。
さらに、ブログをもう1個追加で運営することにまでなっていますからね。人って自分の想像をはるかに超えることができる生き物だと確信しています。
でも、たぶん、周りから見ればな〜んにも変わってない、1年前の私と同じなんだろうなぁ。
そんなことをふと思いました。
そして、こんなこともふと思ったのです。
「私の書いている記事、なんかいろいろ大丈夫かな!?」
・・・・・・・。
なんかいろいろ一気に不安になってきたんです。
今回は、姉サイトで書いた記事数が300を超え、いい感じに収益も伸びてきてちょっと調子に乗ってきている自分をはっきりと自覚したことにより、急にぞわぞわし始めたので、そのことときちんと向き合うために記事を書こうと思います。
同じような状況・心境の方、これからそうなるかもしれない方、すでにやばいことが発覚してしまった方、よかったらお付き合いくださいませ。
公開している記事はすべて自分の文章か!?
ドキ。
ここ↑↑で、もう「やば」ってなります。小心者。
ブログ運営しているみなさんはいかがですか?
特に、収益を上げようとする場合には、自分の日記のような記事をなるべく避けますよね。
自分のカラーを出すことさえも避ける方も少なくないと思います。
もちろん、コピペで記事を作成することは良くないと肝に命じてはいます、ただ、「これはコピペじゃない!」と正々堂々と言える私が…ちょっと見当たらないんです…。
自分が知りたいことを調べてアウトプットした記事
なんにもない普通の一般人、特に何かを成し得たとか、今継続して何かを生み出していたり制作していたりするわけでもない、日々の暮らしをたんたんと生きている私。
そんな私でも書ける記事はあるのか?
最初の方はそんな思いもありました。
でも、私なりに日々の暮らしにいろんな工夫やアイデアを取り入れているとは思っていたので、それを知らない人や知りたいと思っていた人が触れることができる機会を作るというのは、だれかの益になり、なにかしらのヒントを与えることができるかもしれません。
そしたらそれは、私がブログ記事を重ねていく原動力になる、それは大きいですね。
私なりの工夫やアイデア、と言いましたが、それはまったくの無から自分自身で考え抜き思いついたことばかりではありません。
視点としては、自分の中に好奇心の種のようなものがあり、それについて常にアンテナを張っているという状態ではあると思います。
そこから、
- ネットで調べる
- 本で調べる
- ライバルリサーチする
- 検索上位を狙う
というブログ脳が発動し始めるんですね。
そこで、
というようなたくさんの情報に出会います。
その情報を知ってよかった、私も参考にしよ、で終われないんですよね。
「これはブログのネタになる」
「アウトプットもかねてまとめよう」
となるんです。
例で言えば、「精油」についての記事なんかはまさにそうですね。
一切専門的なことを知らなかった「精油」、それを使ってみるのと同時に記事にしていますから。体感してよかったからというのとはまるで違います。けれど、自らの好奇心の種を満たすためにはかなりリサーチしますし、もちろん客観的な視点でも捉えることもできると思うのです。
しかし、これを情報として知らない人にもわかるように記事にまとめるためには、既存の文章を使って自分なりの解釈を含めて構築し直すわけです。
これって・・・、意図せずして勝手に「引用」、もしくは「リライト」??
体験したことを基にした記事
ハラハラしますね。こうやって曖昧なものを記事にして、地味とはいえインターネット上にアップするということは、自分ひとりの世界の枠を超えた果てしない世界へと流出させていくということですからね。
言い回しや、正しい日本語表現、人を不快にさせないような配慮、誤字脱字、いろいろ気にし出すと1日1記事以上をコンスタントに上げていくのも大変です。
そう考えると、焦って記事を量産するよりも、ひとつひとつの記事の信ぴょう性や完成度をあげて、質の維持を優先した方がいいという意見に傾きそうにもなりますね。
しかし、私には強みもあります。
がわりとあるということです。
そして、それが検索界のスキマ産業的なテーマであることが多いのです。
要は、それについてあまりいい検索結果が出てこないのです。そこを狙って、しかも実体験に基づいた信頼性のある記事を書くことができれば、それだけでいきなり検索上位に躍り出ることも可能なわけですよね。
こういう記事を書くにあたっても、もちろんライバルリサーチはします。
そこにない情報を組み込んだり、上位記事を見ながらみんなが何を知りたいのかを予測したりして書いていきます。
そうすると、本当に上位に食い込むのが早い時があるんです。
ただ、実体験、使用経験、といいつつも、すべてを自分の言葉で綴っているのか?と問われれば、答えは「NO」ですよね。
体験したこととその結果だけで記事を構成することはあまりないです。
そこに至るまでの経緯や、いろんな人の体験例や世間一般の考えなども記事内容に入れていった方が、記事自体が豊かになりますし、読む方も楽しめると思うんです。
その時に参考にした言い回しとか文章を、自分の文章にはめ込む事もなくはないです。
これって・・・、意図せずして勝手に「引用」、もしくは「リライト」??
レビュー記事
こちらも自分で体験・経験したことを基にしているのですが、どちらかというと一過性のもので、使用感や感想などを記事にするという感じですかね。
この類の記事は、私のサイトには少ない方かもしれません。
本当に、これは知らないと損だよ、と勝手に熱くなっている場合のみ「書かなくては」という使命感から書いています。
案外、いちばん魂こもっているかもしれません。
そんな熱いレビュー記事を書くときに私が心がけていることは、
- 間違った情報を書かないようにする
- 他の人が見過ごしがちな優れた点を見出す
- ターゲットを思い描きながら書く
- 楽しんで書く
こんなところでしょうか。
まあまあ普通ですね…。
レビュー記事は他の記事と違って、公に自分のものではないものを自分のブログにあげるわけですから、その辺の配慮というか責任というか、そういったものが自ずと付随してきますね。
気をつけなければならないところではありますが、レビュー、批評というものは、いろんな意見があってなんぼです。
いい意見ばかりでは逆にその対象物への興味がそがれる可能性だってあります。
だから、正直に述べることが大事ですね。
レビュー記事でやってはいけないタブーというと、
- 明らかにある対象物について記事を書いているにもかかわらず、それを伏せている
- 対象を未体験のまま想像して書いている
といったところだと思います。
これはさすがにやってないと思いますが、そのものを紹介するときに使う画像を外部から引っ張ってきていること、ないですか?
あるあるー。
これって・・・、もしかして、肖像権、著作権、犯してる??
書籍の引用を行うにあたって
書籍に限った話ではないですが、「引用」自体はしてはいけない行為ではないですね。
「引用」とはっきりわかればなんの問題もないです。
ただし、質の高い、たくさんの人が読んでいておもしろいなと思うような記事に仕上げようと思ったら、いくつかの点に注意しなければなりません。
果たして、私の記事は大丈夫なのだろうか…。
「引用」とわざわざ提示しなくても問題ないもの
「引用」とひとことにいっても、さまざまです。
明らかに誰かの独特の文言であるとわかるもの、誰にも思いつきそうなありふれた表現、昔からある決まり文句、これらを自分の文章に組み込んだ場合、どれがアウトでどれがセーフなのでしょうか。
まず、勝手に引用しても問題にならないものから見てみましょう。
- 創作性のない表現
- 事実の伝達に過ぎない雑報および時事の報道
- プログラム言語、プログラムにおける規約および解法
- 法律、通達、裁判所の判決など
- 著作者の死後50年以上経過した著作物
- 公表後70年を経過した映画の著作物
- 思想、感情に当たらない情報それ自体(例:実験データ、時刻表・料金表、レストランのメニュー)
- アイデア(例:推理小説のトリック)
出典:ベリーベスト法律事務所
あとは、勝手にではなくあらかじめ権利者自身の了承を得ていれば、引用・転載を行なっても問題はありませんね。
その人が一生懸命に紡ぎ出した意味深い言葉や表現を、好き勝手に乱用するというのはやはり犯罪ですよね。法律でもきちんと取り締まられています。
しかし、この世は人が紡ぎ出した言葉であふれていますし、同じ言葉の使用によって同調や共感を得ることもあります。
NGとなる境界線やマナーをきちんと把握しておくことは、自分が文章を書くときにその窮屈さから解放されるというひとつの大きな武器になるかもしれませんね。
引用する場合のルール
では、書籍などの内容をそのまま引用してブログの記事にアップする場合、どのような決まりごとがあるのでしょうか。
はっきり言って、今まで調べたことはなかったのですが、元来小心者の私はそれなりに配慮はしてきたつもりでした。
ところが、「アナスタシア」シリーズの展開がここまで加熱するとは自分でも予想外で、途中から、もう引用なのか乱用なのか私物化なのか、見る人が見たら怪しいのではないかと思うほどに夢中になり過ぎたのです。
単に書籍のレビューという枠にとどまらず、持論やら感想やらを織り交ぜにまぜているので、著書およびその読者の方々にまで不快な感情を抱かせてしまうかもしれない、これはやばい!
そう思ったので、今一度見直さなければと思ったのです。
で、引用してもいいけれどきまりがあったのです。当たり前やね…。
- 「すでに公表されている著作物」であること
- 報道、批評、研究などのための「正当な範囲内」であること
- 引用部分とそれ以外の部分の「主従関係」が明確であること
- 引用部分が明確になっていること
- 引用を行う「必然性」があること
- 「出所の明示」があること
参考:ベリーベスト法律事務所
これらすべての要件を満たす場合において、引用が許されるということだそうです。
どうかな〜。
すべて、満たせているかな〜。
明らかに引用した部分にはカギ括弧などを付けていますが、私が説明したいところでは文章内の言葉を使ってそれなりに似た文章にしてしまっているところもあります。
それによって書籍自体のイメージが悪くなったり、本来とは違った解釈をしてしまう人が出てきたりすると、それは犯罪というものの匂いがしてきますよね…。
それくらい、「他人のものを扱う」ということにおいては慎重になるべきだとわかります。
意図と愛
結局、その記事を書くことによって何がしたいの?
ということですよね。
そして、どのような内容であっても意図が純粋で愛がこもっているものであれば、悪いようにはならないのではないでしょうか。
当然、それを自分で判断できないといけませんよね。
私も、今一度冷静に過去記事を読み返してみて、「あー意図が不純やな」と思ったものや、「愛がないな」と思ったものにはきちんと手を入れて改編していかなければなりません。
今回のアウトプットは、とても有意義なものになったと思います。
まとめ
つい最近、「アナスタシア」の記事が26個目になっていることに気づき、このままこの調子で書き続けていけばとんでもない記事数になるなと我に帰ったのです。
そして改めて考えてみれば、最初の方は著者のメグレ氏に対して敬意を払っていたような気がしますが、いまではどうでしょう…、内容を強調するためとはいえ、ちょっとおもしろキャラみたいに扱ってしまっていた部分もなきにしもあらずでした。
これはいけません。
アナスタシアも言っていました、本にのせた言葉というのは魂や愛が宿っていれば、それはとても強烈なものとして読み手に伝わる、そしてアナスタシアはそう型どったのだと。
私がやっていることが、それの邪魔をしているのか、それともその一端を担っているのか…。
いつかわかる時が来るのだとは思いますが、いまは、やはりひとの出版物を扱っている責任を肝に命じて、愛と意図を保ちながら書いていきたいと思いました。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。