【アナスタシア】の話は物語として綴られていますが、実際に著者のウラジーミル・メグレ氏が体験した事が基になっていますし、これまでにない真理の表現が実に興味深いのです。
別に、生きる意味とか存在の意味とか、そんなことを追求したいと思っていなくても、人間がどうやって誕生したとか、宇宙のビッグバンて本当なのかとかはちょっと興味ありますよね。スー(@bacteria_suzu)です。
そこに対する解釈もなかなか斬新で、信憑性もちょっとあって、わくわくします。
興味があることを純粋に楽しめることが道を開いていくのですよね。
前回は「神」たちの頑張りをお届けしました。自分の身を裂いて生み出した似姿、それが私たちなのです。
では、人間の歩みとはどんなものだったのか、気が遠くなるような時空がそこにはありますが、ちょっと覗いてみたいと思います。
アダムとイブの出会いには【愛】が必要だった
人間が地球に誕生した第一日目から、118年後にそれは始まりました。
仮に最初の人間をわかりやすく【アダム】としたら、アダムは118年間非常に充実した日々を送ったといいます。
そして、神はついに、みんながよく知る【イブ】を創造するのです。
アダムが悲しむ時
神はすべてをアダムに惜しみなく与えたので、老いることも病めることもなく魂が望むだけ最盛で生き続けることができました。
万象万物すべてのものに名前と使命を定める、という心を奪われるほどわくわくする仕事に意識をそそぎます。そしてそれを全て終わらせるのにかかった時間が118年なのです。短いのか長いのか判断しかねる時間ですね…。
アダムが使命を決めようと懸命に取り組んだけれど、決めることができなかった「プレントザウルス」は地球上から消えてしまったと言います。
118年間のある日、アダムは春に魅了されなかった。太陽の光に向かって朝を歓迎することをしなかった。
おお、神はその時どれほど驚いたことか!
抜けるような青空の下で、神の息子、人間が悲しんでいる。愛する我が子が、歓びではなく悲しみの中にある。父親にとって、愛する我が子のその光景より悲しいものがあるだろうか?
118年の間休息していた多くの本質のエネルギーたちは、動きざわめき始めます。その中で、「愛」のエネルギーの光の輪が強い輝きを放っていたのです。
これを観てすべての存在が理解した。神が新しい創造を構想しているのだと。
神は若く情熱にあふれた彫刻家のごとく、すべてのエネルギーの運動を加速し続けます。すると突然、神は恍惚の中で囁きました。
「見よ、大宇宙よ!見てくれ!私の娘が地球の創造物たちの中に立っている。彼女のすべての特徴、姿かたちはなんと完璧で美しいことか!彼女なら私の息子にふさわしいだろう。彼女のうちにも私の資質ーーー似姿がある。そしておまえたち全員の粒子が宿っている。だから彼女を愛してくれ。どうか愛してくれ!
彼女と彼!私の息子と娘がすべての存在に歓びをもたらす!すべての次元空間において、いくつもの美しい宇宙の世界を築き上げる!」
そして、ついにアダムの前に乙女が立ち止まるのです。
アダムはイブを受け入れなかった?
さあ、いよいよアダムとイブの愛の出会いが訪れる!
と思いますよね、普通。
でもまだここではアダムはイブになんの感情も抱かないのです。
アダムが意識の中で無気力に思案を巡らせていたのを、宇宙の本質たちは聞いていました。
「何だ、来たぞ。また創造物が一つ近づいて来た。何も目新しくはない、ただ私に似たところがあるくらいだ。ーーー中略ーーー呼びもしないのに近づいて来たぞ。私は今日、蟻たちに新しい使命を決めてやりたかったのに」
宇宙の本質たちはざわめき、そしてそれらの意識がこう一致しました。
『二つの完全な創造物たちは、互いの価値を認め合うことができなかった。神の創造に完璧はなかったのだ』
そこに何が足りなかったのか…。
【神】と【愛】の永遠の別れ
ここでやっと登場して神をかばうのが、「愛のエネルギー」です。
愛のエネルギーがこれまで考えを述べることなどなかったし、いつも目に見えず、寡黙で、果てしない神秘の中をさまよっていました。
その愛が、宇宙のざわめきに耳を傾けることなく、ただ神を温め、その輝きで慰めたのです。
そして、ここからの神と愛との対話が秀逸ですよ。
愛 「休むがよい、偉大なる創造主よ。おまえの息子に理解する力を吹き込めばいい。おまえは自分の美しい創造物の何であれ、修正することができるのだから」
神 「私の息子は私の資質を持った創造物ーー似姿。彼の内には宇宙のエネルギーたちの全ての粒子が宿っている。この時点より、未来のいつにおいても、私も、そして誰であっても、彼が望まない限り彼の運命を変えることはできない」
神 「我が息子は完全なる乙女の肉体を目にしても驚かなかった。彼はまず、感じた。何かが足りないと。そして新しい創造物である乙女が、もつべきものを得ていない彼の前に現れた。我が息子よ!我が息子は自身の気持ちを通して大宇宙のすべてを感じ取っている。彼はすべてを知っている、宇宙が有しているものすべてを」
大宇宙 「我々すべてのエネルギー、そしておまえのエネルギーを宿している者に、足りないものなどあるのか?」
神 「愛のエネルギー」
愛 「されど私はひとつ、一なるもの。そしておまえのもの。おまえがあるがゆえに輝く」
神 「そう!おまえは一なるもの、私の愛よ」
神 「私の愛よ!私の願いだ、地上に降りてほしい。余すことなくおまえのすべてを地上に。おまえ自身で、おまえの偉大なる歓びのエネルギーで、彼らを、私の子どもたちを包み込んでやってほしい」
気付きました?神と愛は永遠の別れの対話をしているのです。
そしてそれこそが地上の愛の始まりなのです。
悲しくてとてつもなく感慨深い父なる神の愛ですね。
愛が離れていくと神は独りとなり、永遠に見えなくなってしまうのです。温もりもなくなり神の魂は冷え切ってしまいます。
それでも愛によって地上で放たれる温もりが歓びをもたらし、それによって神のエネルギーがすべて温まるというのです。
神のエネルギーが見えなくなったのをいいことに、他のエネルギーの本質たちが神の名を名乗って自分の都合の良いように語り出すかもしれない恐れもあります。
その時は太陽となって昇り出て、地上のすべての創造物たちを一人残らず抱擁し、一人ひとりが自分の魂で神と語ることができるというのです。
愛はその言葉を聞いてもまだ不安のうちにいます。
すべての宇宙の本質たちは、人間の魂を征服することを熱望し、人間を通して自分のエネルギーだけを確立するかもしれないのです。そして迷える息子たちは、唐突にそれに祈りを捧げるようになるかもしれないのです。
まさに現代にはびこる鬱々とした世界ですね。
大いなる愛のエネルギーがこの世界を見る時、目を背けてしまうんじゃないかと思うくらいの現在の地球の姿とは違い、誕生のときは愛に満ちていたのです。
愛のエネルギーはこうして地上のすべてを包み込んだ
神は知っていたからこそ、愛を地上に送ったのでしょう。
息子の悲しみをなんとかしようと、自分と一である愛を解き放ちます。
多くの、良からぬことをしようとする宇宙の本質たちにおいて、偽りがもたらすことにはすべて壁が立ちはだかる。私の娘たち息子たちには、真理を悟る意志がある。嘘には常に限界がある。しかし真理は無限。真理はひとつであり、常に私の娘たち息子たちの魂の自覚の内にある。
全てを理解して彼の子どもたちを光で温め、永遠に仕えることを決めた「愛」は、最後にたった一粒の小さな火の粉を神に残したいと懇願します。
しかし、それさえも拒んだ神は、
「私に残すということは、すなわち彼らに、我が娘たちや息子たちに、すべてを与え尽くすことにはならない」
と言うのです。
アダムとイブの新しい創造物の誕生
そしてついに、アダムとイブは結ばれるのです。
単純に最初の人間として結ばれた二人というわけではない、そこには大宇宙の本質のエネルギーたちが織りなす様々なドラマがあったのですね。
そこここに宗教の経典のような雰囲気が見え隠れしますが、私はこの本を読んでいてちっともそんなことを感じませんでした。
実際多くの人がそうだと思いますが、素直に読めるって得ですね。
愛によって言葉が生まれる
アダムはふと意識し始めます。
「この前、私の目の前に新しい創造物が立っていた。今あれはどこにいるのだろう?おお、なんとあの新しい創造物に逢いたくなったことか!逢いたい、もう一度。しかしなぜだ?」
ズバリ!愛があなたを包んだからですよね。
すべてが全く同じなのに、全てが違った風に見える、そして全てが美しさを増して見えるという状況・・・これは”恋”に他なりませんよね。
ここで、アダムの唇に言葉が生まれます。
「私も応える、愛している!」
その時、新しい温もりが流れてきました…。
愛に包まれて再会したふたり
その温もりの方を振り向いたアダムの前には、新しい創造物が輝きを放っていました。
その乙女の姿が目に入ると、意識から理屈が離れていき、アダムは魂の全てでその光景に見とれたのです。
そこからは二人で自然と戯れ、楽しい時間を過ごします。そこには言葉があり、会話があり、笑いがあり、あっという間に黄昏になってしまいました。
父なる神の存在も互いに共有し合い、彼が望んでいるものが何かという話に及ぶのです。
二人の共同の創造
二人は父の願いである「共同の創造と、それを観る喜びを皆にもたらすこと」「誕生」に思いを巡らしながら、共に眠りにつくことにしました。
眠りに落ちる前、美しい創造の夢の中で、優しい気持ちの高まりの中で、二人の意識は互いを抱きしめ、ほとばしる希求の意識が一つに溶け合わさった。二人の物質的な身体は、二人の意識を映した……。
そして、イブのお腹に新しい創造物が宿りました。
イブは苦しみではなく、大いなる感嘆の中で産みました。
今日の共同の創造は、これほどまでに崇高で誇り高いものであり得るのでしょうか。
アダムとイブによるこの新しい創造物の誕生は、確実に私たちに受け継がれ、歓びの気持ちを何倍にも強くするものであるはずなのですが、数え切れないほどに苦しみの中で誕生している命があります。
父なる神の永遠なる願い、
「我が息子よ、お前は愛の空間の中だけで、永遠に生きてほしい」
これは今でも息づいているものなのだろうかと疑いたくもなるほどに世界は混沌としてしまいました。
「死の感覚」すらなかったその頃から現在に至る過程で一体何が起こったというのでしょうか。
まとめ
神のこれだけの愛を享受するアダムとイブが、神に楽園を追放されるなんていうことはあり得ないし、罪に対する罰もこじつけにしか思えなくなりますね。
アナスタシアは、人間がなぜどこにも通じることのない道を選択するようになったのかも明確に言及しています。
それが清々しいくらい明瞭なので、実に興味深いです。
やはり、意味を模索したり何かを解明しようとするのは、愚かなことなのかもしれません。
池田清彦氏、と言えば『ホンマでっか!?TV』でお馴染みですが、この方もメディアに出ていいのかと思うくらいはっきりと自分の考えを述べられて気持ちがいい方ですよね。
そして、最近読んだ記事でハッとした氏の言葉、
「私はなぜ、存在するものに意味がなければならないのか、それがそもそも分からない。存在するものは存在するだけで別にいいじゃねえか」
これにノックアウトでした。
何も解明しようとせず、ただ夢中に虫や植物と対話し、そこに喜びを見出す、ただそれだけの日々でいいじゃねえか。
小難しいことをこねくり回しても太陽の光は復活しません。
私たちが苦しまず喜びに満ちた目をし、神に対して話しかけ、共同の創造に愛を込めること、それが唯一世界を変える力を持っているのかもしれませんね。
大丈夫ですか?
ここまで。引きまくっていませんか?
ではもう少しアナスタシアの世界を私の言葉で噛み砕いてみたいと思います、興味のある方は③の巻へどうぞおいで下さい。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。