アナスタシア本、読まれていますか?
このシリーズも㉚にまでなってしまいました。
最近ご無沙汰だったので、久しぶりに触れてみようと思って過去記事を読み返していたのですが、本当にじわじわと閲覧者の方が増えていてびっくりしました、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
私のバイブル、と堂々と言えるくらい共鳴してしまっているこのロシアの物語。
その断片を自分なりにまとめてきたシリーズですが、実は私はまだ全巻読んでいないんです!
4巻までは何度も読んできたのですが、その先に刊行されている後の5冊、倍以上・・・。
いつ読むのでしょうか・・・。
普通全巻読破してから『バイブル』とか言いますよね。
でも、この先あと何十年かなんとか生きるとして、その間の楽しみが残りのアナスタシア本を読むことになるって、とてもワクワクします。
ブログの本シリーズもこのペースでちまちま紡いでいったとしたら、
下手したら100越えしてしまうかもしれません…。
まめに覗いて下さっている方も、さすがに飽きるか嫌気がさすかして、
閲覧者がどんどん減っていくということにならないように、
いろんなことに気をつけながら、なんとかアナスタシアが展開するこの世の本質についてを私なりにわかりやすくまとめることに努めたいと思います。
言葉の奥に情景を再現すれば現実化する
アナスタシアがときどき、未来に起こることを具体的に型どるとき、少し奇妙な文章で話すことがあります。
文字の1音1音を正確にはっきりと発音するという、普通に聞くと不自然にも聞こえる話し方だと言います。
もちろん、それは意識してそうしているのであって、そうすることにより詳細にいろんなことが再現されるのでしょう。
思考と言葉は人間だけに与えられた道具
私はやったことがないですが、未来に再現したい事柄を具体的に細かいところまでイメージしながら言葉にするって、きっと普通の話し方では無理ですよね。
ウラジーミルが側で聞いていて「奇妙」に聞こえたように、誰がそれをやっても1音1音正確にはっきりと発音しようとするかもしれません。
アナスタシアはこうするのだそうです。
「私はひとつひとつの言葉の奥に、たくさんの行事と喜びに満ちた情景を再現した。だから、それらはすべて現実になる。
そもそも、思考と言葉は、偉大なる創造主がもつ主要な道具で、体をもった全創造物の中で、人間だけがこの道具を与えられている」
そういう話し方をしたことがあるでしょうか?
ただ単に、毎日話しているような会話や物語の朗読とは明らかに違う、魂のこもった言葉です。
愛する大切な人に対してや、自分の人生に関わる大きな決断をするときなどに発する言葉を想像してみるとわかりやすいかもしれません。
きっとそこには自分の思いを込めて、それが良い方向になるように願いながら発するのではないでしょうか。
それが、私たちに与えらた道具の役割をちゃんと生かした使い方なのでしょう。
ところが、この純粋な気持ちに自らストッパーをかけ、しょうもないプライドを掲げ出した途端、口にする言葉がたちまち白々しくなり、空っぽのただの音になるのです。
それは嘘であったり、言葉の暴力であったりするかもしれません。
言葉という道具のみごとな技
『言霊』の概念と似ているような気もしますが、実は真逆の考え方ですよね。
言霊は、その人が発する言葉に魂が宿るから、負の言葉を発したらその通りになってしまうし、良いことを言ったらそれが現実化するということでしたね。
しかし、アナスタシアの言っている言葉という道具は、魂のこもっていないただの音である言葉は何ひとつ未来を作り出すことはないというのです。
そして、誰もが知っていて昔からある普遍的な言葉、そのひとつひとつには本来備わっているイメージがあって、そのイメージ通りに発せられた場合には言葉にパワーが生まれるのだそうです。
この言葉という道具の見事な技をわかりやすく利用している職業が『俳優』だというのです。
「人々は、ある俳優が語る時だけ息をひそめて聞き入り、別の俳優の時はそうはならない。言葉は同じなのに、そのちがいはとても大きい」
確かに大げさな演技をするから感動するかというと違うと思うし、ベテランで経験が長いからという理由だけで名優と呼ばれるわけでもないと思うのです。
その違いは、俳優が発する言葉に、どれだけそのイメージを組み込むことができたかという点にあるかもしれません。
そして、その俳優の魂からの言葉は、観客の魂に直接語りかけるのです。
それを感じて私たち観客は自然に涙があふれ、そして笑いがこみ上げてくるのです。
実は単体の文字それぞれが意味をもっている
で、アナスタシアは?どれくらいの言葉にイメージを投入できると思いますか?
10%?
50%?
「全部よ。曾祖父が教えてくれた」
「曾祖父は、すべての文字にそれぞれひとつずつ、イメージを組み込むことができると教えてくれた。それで私は、それぞれの文字の背後に、ひとつのイメージを組み立てていく方法を学んだ」
言葉、ではなく、その言葉を構築する各々の文字、それらひとつひとつが意味を持っているのです。
何千年も前からそうやって深い意味を持って伝わってきた「言葉」が、現代ではただ無造作につぶやかれているのです。
アナスタシア曰く、
「それらの言葉は時空と空間を貫いてやってきていて、背後にある忘れ去られたイメージは、今日までずっと私たち人間の魂に触れることを切望してきた。それらは私たちの魂を守り、魂のために闘う」
私たちが忘れてしまったその「言葉」のひとつに『バード(bard)』というものがあります。
それはどんなイメージを背後に持つのでしょうか?
【bard】と呼ばれる吟遊詩人
「ウラジーミル、『バード(bard)』という単語を発音してみて」
とアナスタシアに言われ、「バード」と言ったウラジーミル。
もちろん、この段階ではただのロシア人であるウラジーミルに、「バード」の背後をイメージしろという方が無茶ですよね。
しかしアナスタシアは容赦ありません。
「ああ、この偉大な言葉を、あなたはなんという無関心と凡庸さで発音するのだろう。・・・・中略・・・・根源なるものを無視することが、今の世の荒廃を招いている」
それはそうかもしれませんが、それにしてもちょっと厳しいですね(笑)
ケルト族の【ドルイド僧】
何もイメージできなかったウラジーミルに対して、アナスタシアは「バード」の背後にある古代の出来事を話し始めます。
ときは、キリスト誕生よりもさらに前、ケルト族として知られる私たちの祖先が地上に住んでいた時代です。
彼らが心から尊んでいた存在がいました。
それが【ドルイド僧】です。
「彼らは自分たちを導く教師たちをドルイド僧と呼び、その頃地球上に住んでいた多くの人たちは、物質世界と精神世界双方についてのドルイド僧の英知を尊んでいた」
この【ドルイド僧】にもレベルがあるようで、初心者のレベルに達するにも、偉大な霊的指導者となっているドルイド僧に個人的について、20年間は修行しなければならなかったそうです。
そして、晴れて一人前のドルイド僧として出発した者は、『バード』と呼ばれる吟遊詩人になるのです。
具体的に何をするかというと、
「人々の中に出ていって歌い、自分の歌をとおして、光と真実とを人々の中に浸透させるという、倫理上の権限をもっていた。
魂を癒すイメージを形づくるために自分の言葉を用いて歌った」
この「歌」にどれほどの力があるのか、ちょっと具体的な場面で見て見ましょう。
ローマ軍とケルト族の戦い
場所は、ローマ軍がケルト族を攻撃してきたときの最後の戦場である川のほとりです。
この戦いはお互いの兵士同士の単純なものではなかったのです。
ケルトの兵士たちに交じって、
がいたのです。
この存在は、ある種、武器よりも恐ろしい影響力があったのです。
「この女性たちがケルトの戦士に交じって歩くとき、ケルト軍を打ち負かすにはケルトの軍勢より数で6倍は勝らなければならないことを、ローマ軍のリーダーたちは知っていた」
それがなぜかという理由は、ローマ軍のリーダーたちも現代の歴史家たちもわかってはいないけれど、それは確かに戦況に影響を及ぼすとされていたのです。
そして、この戦いでは、ローマ軍はケルト軍の9倍もの軍勢を率いていたというのですから、相当恐れていたのでしょうね。
1人で4時間死闘した女性
さすがに、ケルト族は追い詰められます。
川側でケルト族最後の一族が滅びようとしていました。
追い詰められた一族の後ろにいたのは、
でした。
「若い母親は、小さな娘の魂に恐怖や悲しみが植えつけられることがないように、彼女が光のイメージをもつように、悲しい歌ではなく明るい歌を歌っていた」
「小さな娘が母親の乳首を離すと、二人はじっと見つめ合い、母親は歌うのを中断し、その度に娘に『バーダ』と優しく呼びかけた」
ここにしっかりと言葉のイメージを吹き込んだのですね。
最後に残ったたったひとりの「バード」は、血まみれになって剣で戦い、女性の方を振り返ってお互いに微笑みを交わしました。そして、女性が川のボートに娘を乗せて岸から離れさせるまで、ローマ軍を寄せ付けなかったのです。
血だらけのバードから最後の意思とともに受け取った剣で、その女性はなんと4時間をとおして休むことなく戦い続けたのです。
最後には、肺が脱水症状を起こして乾き切り、唇がさけて血が噴き出しました。
その最後の瞬間にも、下流へと流れるボートの方角に向かって、かすかな微笑みを送ることができたのです。
「彼女が救った言葉とその言葉のイメージは、数千年のときを超えて、今日を生きる私たちに運び届けられている」
それに気づかれない言葉たちの悲しみ、4時間死闘した女性の愛、これらを読み取ることができる人が増えたら世界は変わりそうですね。
唯一生き残った小さな【バーダ】
きっと、ここにも闇の勢力が働きかけたのでしょうね。
光の勢力であるバードを根絶しようとしたと言えますよね。
しかし、それは失敗に終わりました。
たったひとりボートに乗って逃れることができた幼い「バーダ」は、成長して少女となり、やがて大人の女性となり母親となりました。
「彼女は大地に生き、歌を歌った。彼女の歌は人々に光の感情のみを与え、全てを癒す光線のように、魂の曇りを吹きはらう助けとなった」
そら、闇の勢力は消し去りたくなりますね。
現代のバードたちはギターの弦をかきならす
今回は「バード」という言葉の背後にあるイメージについて知ることができましたが、これ、ほかのすべての言葉にそれぞれ意味があるとしたら、言葉って本当にただ話すためのツールと考えることがおこがましく感じますね。
ちょっとだけ気になりますよね、バードの子孫やバーダの子孫。
しかし、ここは追求してもしょうがないのです。
私たちひとりひとりが、この事実を受け止めて自分で考えるべきなんですね。
ウラジーミルがいい質問をします。
「どうしてきみはこの特別な言葉を選んだんだい?」
「ロシアにいる現代のバードたちの指が、今、何千本ものギターの弦をかきならし、音色を奏でようとしている。それに、私がタイガでこれらすべてを夢見たとき、それを最初に感じ取ったのは、彼ら、バードたちだった」
世界中のバードたちがこれに呼応したとき、私たちの住む闇色の強い世界も明るく新しい朝を迎えることができるのではないでしょうか。
歌というものにはそういう力があって、だからこそこの世界は歌にあふれているのかなと思いました。
ただ、当然意図的に、バードたちの音色を聞かせないためだけに流れているまやかしの歌の方が圧倒的に多いのでしょうけれど・・・。
私もあなたもバードのかきならす音色を聞けることを願っています。
いや、私はもうすでに聞けているのかもしれません。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。