シベリアのタイガに住む【アナスタシア】は女神でも占い師でも超能力者でも宇宙人でもない、ひとりの人間の女性、私と同じ女性なのです。
同じ女性というだけで、もちろん精神レベルは全くが違いますね、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
アナスタシアには家族がいます。当然ですね。
しかし、両親はいません。幼い頃に亡くしました。
アナスタシアを育てたのは、タイガの森の住人たちと彼女の祖父と曽祖父です。
今回はこの二人のおじいちゃんについて少しだけ書いてみたいと思います。
【アナスタシア】本の著者であるウラジーミル・メグレ氏は、一番最初にタイガのオビ川でこの2人のおじいちゃんに出会っていましたね。
そしてその後の2回目の航海の際に、その孫だという「アナスタシア」に出会います。
もちろんこの流れは全てアナスタシアが型どったものであり、会うべくして会ったのですが、最初に会ったメグレ氏と2人の老人のやりとりを詳しく見ていきたいと思います。
奇妙な2人の老人との出会い
自分の仕事である交易を終え、シベリアを後にする際に立ち寄った小さな村、そこでメグレ氏の全人生を変える出会いが待っているなどとは、夢にも思っていなかったことでしょう。
休息のために少し散歩をするつもりでタラップを降りていくと、脇の方に黙って立っている2人の老人が目にとまりました。
老人たちの望み
白髪まじりのあごひげを生やした年上と見られる老人は、かかとまで届く長いズック地のマントをはおり、頭をすっぽりとフードで覆っています。
これはどう見ても“奇妙”以外のなにものでもないですよね。
通り過ぎがてら「こんにちは」と会釈をしたメグレ氏に、年上の方はわずかにお辞儀を返しただけでしたが、年下の方が話しかけてきました。
「こんにちは。あなたの善なる目的が実現しますように。
あなたがここの責任者ですか?みんなに命令を下せる立場ですか?」
「そうですね、目的にかなった命令であれば」とメグレ氏は答えます。
そして、本気で相手するつもりがないという態度でそのまま行こうとするのですが、その老人は話を止めようとしません。
彼の望みは、
- 50人ほどの男たちを貸してほしい
- その男たちをここから25キロほど奥に入った場所まで連れて行きたい
- そこにあるシベリア杉の木を伐採してほしい
- 高さが40メートルもあるその木を切り分けてほしい
- その木を一つ残らず運んでほしい
- あとで、それをさらに小さな木片に切って、各自、ひとつを自分のために、残りを家族や友人やそのほか誰でも、贈り物としてあげたい人にあげる、そうできるようにしてほしい
というものでした。
初対面の人にここまで具体的な望みを、自己紹介もほぼなしで語ってしまえることは、普通に考えて「異常」です。
しかし、頭ではわかっていても、彼らの熱心さに耳を傾けずにはいられないメグレ氏でした。
木片について
とにかくこのシベリア杉で作る「木片」が彼らにとっていかなるものかを、語り出すのです。
杉の木、特にシベリアのタイガに群生する杉の癒しの力については少なからず聞いていたメグレ氏、しかし、この老人たちの口から出るあまりにも「魔法」のような「おとぎ話」のような杉のパワーについては、とうてい信じられませんでした。
「たぶん彼らはそのシベリア杉を私に売りつけて、ひともうけしたいのだろう」
そう思い、彼らに断念させようとします。
この反応はごく自然ですよね。タイガの森という、都会から見たらそれこそおとぎの国のようなところとはいえ、自分たちが暮らす日常のことを忘れて夢の中へ入り込んだわけでもないですから。
現実を見据えているいい大人は丁重に断ろうとしますよね。
「われわれは何もいりません」
メ 「『外の世界』では、女性たちは人に好かれようとしてゴールドやシルバーのアクセサリーを身につける。小さな木の切れ端などを買う人はいない。だから私はその杉の木の値段がどうあれ、あなたがたの話をお受けするつもりはありません」
老 「ゴールドなど、このシベリア杉の小さな1片にくらべたら塵に等しい。だがわれわれは、そのためにお金をもらうつもりはない。干しきのこも差し上げるが、われわれは何もいりません」
メグレ氏はこれ以上の議論を避けようとします。そして高齢者に対する敬意から、
メ 「そうですね、その木片に熟練した彫刻師が格別に美しい模様を彫りこんだら、身につける人もいるかもしれませんね」
そう言ったのです。
さらに火をつけましたよ。老人は執拗に食い下がってきましたよ。
強烈なものを呼び起こす【木片】
なんの計算も策略もないこの2人の老人は、とにかくシベリア杉の木片をどうにかしてたくさんの人に身につけてほしいのでしょうね。
本当にただ純粋にそう願っているだけなのでしょうね。
老 「シベリア杉の木片に彫刻することもできるが、彫るよりも磨いたほうがいい。自分で、その人の魂がそう願った時に自分の指で磨くのがいちばんいい。そうすると、杉の木片はいっそう美しくなる」
この言葉が終わるやいなや、年下の方の老人は、上着のボタン、シャツのボタンを素早くはずし、首から下げている木片を見せるのです。
それは、
- やや楕円がかった形
- 表面がふくらんで凸状になったもの
- 紫、深紅色、赤褐色と多様な色彩が神秘的な線画を描く
- 流れるような木目が細い小川のよう
そんな風に見えたのでした。
決して芸術作品の通ではない、世界的傑作と言われる作品にも特別な感慨を覚えたことがないメグレ氏は、この老人の胸にぶら下がっているものに対して、ロシアで最も大きい美術館を訪ねた時よりもはるかに強烈なものを自分の中に呼び起こしたと言います。
メ 「何年ぐらい、この杉の木片を磨いてこられたのですか?」
老 「93年」
メ 「お年はおいくつで?」
老 「119歳」
・・・。
どう見ても75歳くらいにしか見えない老人・・・。
ここからこの自称119歳の語りが興奮状態の中で続いていくのですが、その杉のパワーについてはこちらの記事↓↓↓に詳しくまとめていますので、よかったら覗いてみてください♪
結局、メグレ氏は話に引き込まれながらも、彼らの提案は受け入れませんでした。
その2つの理由は、
ということです。
後に自らこの『シベリア杉の沼』にどっぷりと浸かって抜けられなくなるとは、この時には想像もしていなかったでしょうね。
老人とアナスタシア
アナスタシアの家、というか住んでいる草地には、祖父も曽祖父もたまに訪れるという程度で、一緒に暮らしているわけではないのです。
幼くして亡くなった両親が、もし生きていたらどういう育児をしたのでしょうか…。
それはわかりませんが、実際に、アナスタシアは草地で自然や動物たちと共に暮らしていたのです。
そして、その『愛の空間』を創り上げたのは紛れもなく彼女の両親だったのでしょうね。
彼女の草地は徹底して動物たちに守られ、幼い彼女がその草地を出ようとするたびに彼らのうちの誰かが必ず跳んできて、大声でぎゃあぎゃあ吠えるのです。
そのことが、そこから1歩でも出れば、他の動物たちのテリトリーになるからだということが、彼らの言葉を理解してわかったというから、ほっといても子どもは育つっていうのがあながち大げさなことじゃないと思いますよね。
そんな草地にときどきやってきた祖父と曾祖父、彼らがアナスタシアにした事は何でしょう?
アナスタシアに教えるのではなく質問する老人
アナスタシアのように、タイガの森に住む人たちの間では、年配の人は赤ちゃんや小さな子どもを、神性を宿す尊い存在として扱うようです。
子供に問いかけたときに返ってくる答えによって、自分の純粋さを確かめるといいます。
アナスタシアの祖父と曾祖父も、草地に来ては彼女に答えさせたいと思ういろいろな質問をしたそうです。
アナスタシアも彼らと一緒にいる時間をとても楽しく過ごします。
彼らは彼女にいろいろな質問をしてくれる唯一の存在でしたし、心臓の鼓動も、動物たちと違って自分と同じリズムであるということが嬉しかったのしょうね。
ひげの質問から創造主という概念へつなげる
メグレ氏に話した、アナスタシアと老人たちの会話、それはほんの一例ですが、こんな風に本質に触れ合いながら余計なことを考えずに生きていくことができれば、子供という存在の中のあらゆる可能性は、私たちの想像を絶するものすごい規模のままグングン大きくなっていくのかもしれません。
そう思うと、
何かすごい英才教育をするとか、
いいおもちゃを与えるとか、
いろんなところへ連れて行っていろんな体験をさせるとか、
そんな当たり前のように現代の親がやっていることは、あまりにも「無駄」なような気がしてしまいます。
たぶん、そういうことをする過程で生まれるいろんな面倒なことが、本来あるはずの「子供への愛」という純粋なものを忘れてしまうシステムになっているのかもしれません。
ただ子供と見つめ合う。
ただ子供と会話をする。
ただ子供と一緒に散歩をする。
そんなことをすっ飛ばしてあれやこれやと手をかけ、お金をかけ、時間をかけ、
それによって親にもストレスが生じ、挙げ句の果てには子供に八つ当たり…、そんな世界の先には一体どんな希望があるのでしょう。
祖父 「アナスタシア、どうして私のここ(あご)に毛が生えているのか教えてくれないかな? そして、どうしてここ(額と鼻)には生えていないの?」
アナスタシアは彼の額と鼻に触ってみたけれど、答えは出てきませんでした。わからないことを適当に話したりできない子供だったので、その時は自分で理解できずに言葉になりませんでした。
その次に2人がやってきて、
祖父 「私はどうして毛がここに生えてこないのか、まだ考えているんだよ」
真剣な表情でアナスタシアをじっと見つめました。
そのときアナスタシアは、これはきっと彼にとってとても大事な問題なのだろうと思って、こう聞きます。
ア 「おじいちゃんは、毛が全部生えたらいいなって思っているの?額とか鼻にも?」
祖父 「いや、そうは思っていないよ」
その瞬間アナスタシアは言います。
ア 「だから毛はそこに生えてこないのよ。おじいちゃんがそこには毛が生えてほしくないと思っているから」
祖父 「じゃあこのあごひげは、私がここに生えてほしいと思っているから、ここに生えているの?」
ア 「もちろんそうよ、おじいちゃん。おじいちゃんも私も、そして誰かわからないけどおじいちゃんを創った人も、そこに毛が生えていてほしいと思っているの」
アナスタシアのこの答えを聞いて曾祖父が興奮気味に言いました。
曾祖父 「それで、誰が、いったい誰がおじいちゃんを創ったの?」
ア 「いろんなもの全部を創った人」
曾祖父 「だけど、その人はどこにいるの? その人に会わせてくれる?」
アナスタシアはすぐには答えられませんでした。でもそれ以来そのことについて時々考えるようになるのです。
そして、1年後その答えを出すのです。
これが小さな子供の可能性ですよね。
言語を教えてくれた曾祖父
アナスタシアとメグレ氏が、いろんな国の言葉で会話をするシーンがあります。
メグレ氏は、自分が知り得る各国の言語を最大限使ってアナスタシアに問いかけます。
その全てにすかさずその国の言葉で返すアナスタシア。しかも、外国語を自由に操れるというレベルの会話力ではなく、
「あなたと話すときは、あなたが会話の中で使うのと同じ決まり文句や単語を使うようにしている。あなたの語彙の範囲が狭くて、同じフレーズの繰り返しが多いので最初は少し難しかった。それと、あなたは感情を強く表現しない。そういう言語環境だと、私が話したいことを十分に正確に表現するのがとても難しい」
というレベルなのです。
面と向かってこれを言われたメグレ氏…、同情します。
アナスタシアと曽祖父は『ゲーム』感覚でコミュニケーション能力を磨いていくのです。
片膝をついて手にキスをし、『こんにちは、アナスタシア』と言う。
↓↓↓
しかし、彼の唇が動いて何かわからないことを言った。驚いて彼を見ると、また別の全く意味不明なことを言った。
アナスタシアは我慢できなくなって「おじいちゃん、話す言葉を忘れちゃったの?」と聞くと、「そうなんだよ」と曾祖父は答えます。
↓↓↓
片膝をついて手にキスをし、やさしい顔で唇を動かした。
ところが今度は、彼の口からは何の音も出ていなかった。
アナスタシアは本当に怖くなって、彼に催促します。「こんにちは、アナスタシア。いつも言うのはそれよ、おじいちゃん」と言うと、「正解!」と彼は満面の笑みで答えます。
このとき、アナスタシアは
「あ、これはゲームなんだ」
このゲームは初めのうちは簡単だったけど、どんどん複雑に面白さを増していくのです。
顔の表情を注意深く観察して、どの言葉が彼の目の表情や、額のしわや、唇の動きや、かすかなジェスチャーに一致するのかを覚えようと必死になります。
このゲームが3歳から始まり、11歳の時終わるのです。いかがですか?
普通の子供たちが幼稚園や小学校に行っている期間ですよね、これ。
その間に、言語のみによる対話より完璧で、伝達速度も速くて、内容も豊富な、テレパシー、そうテレパシーを身につけているんですよ!
しかし、このことは普通ではないSFの世界のことなんかではなく、単純に、
- 相手に対する思いやり
- 豊かな想像力
- 優れた記憶力
を基本としているのです。これらは私たちの生活にも密接に関係していますよね。
これらの扱い方次第で、魂や植物界、動物界、宇宙など、基本的にあらゆるものに何する知識の獲得を可能にするということです。
このゲームを、本気で相手を尊重しながら行える人物が、おじいちゃんやおばあちゃんなのではないでしょうか。
最も現代のおじいちゃんおばあちゃんにそれを期待できるかどうかは、ちょっと微妙ですけどね。
まとめ
私はおじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らした経験はありませんが、確かに親とは違った眼差しで子供と接してくれる存在ではありますよね。
子供の未知なる可能性を生かしてくれる存在、いつでもどんな自分も手放しで受け入れてくれる存在、そして、子供に対して本当に優しく接してくれますよね。
もちろん、よく言われる「責任がないから」という側面もあるとは思いますが、責任って何や?って話ですよね。
現代における、親と子の関係性には本当に深い闇があると思います。
社会の中で生きていくためにはそれも必要なのかもしれませんが、どこかで誰かが気づいたのならば、そこで軌道修正していくべきことかもしれません。
気づいたのか!?私!?
いやいや気づいた気になっているだけだと思いますね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。