アナスタシアが、人々よ、祖国を取り戻して、と言ってしまった事。
みんなで家を建てよう、と言ってしまった事。
そして、そのくだりを読んでしまったあなた、まさかアナスタシアの具体的な設計図を知りたいと思っちゃいました?
いい感じですね、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
私の中での「神」の似姿、チバユウスケが歌う歌詞にも「アナスタシア」って出てくるんです。
その歌を歌うたびに「アナースターシャ」って呼びかけるわけです。
アナスタシア、聞こえていると思います。
そして私に届いたり、あなたに届いたり。
今回は、生きた愛の家とはどういうものかサクッと簡潔にまとめるように努力をしてみたいと思います。
1ヘクタールの土地に、まず何をする?
「想像してみようじゃないか。」
ウラジーミルもこの限りなく不可能に近い「1ヘクタールの土地」計画に対して、アナスタシアがどんな新しい設計デザインをもたらすのか興味が湧いてきて、前のめりになってきます。
ただ、その土地は楽園と言えるようなものではなく、草ぼうぼうの土地であるだろうという設定で進んでいきます。
「ウラジーミル、自分で考えて、自分でも想像してみて。もしあなたが自分の土地に立っているとしたら、まず何をする?」
もちろん塀で囲むよ
広大な荒地に、何もないような誰もいないような平原に、私たちの「1ヘクタール」があるとしたら、と考えましょうか。
通常の家を建てるようにはきっと生きた家は建ちませんよね。
アナスタシアは、近代の重機や機械を使うことを決して否定はしません。否定する意味はないと言います。
「闇の勢力によって具現化されたものは全て、光の勢力に転換する必要があるの。
思いついた計画を、生活の中で早く具現化するためなら、使うべき」
では、ウラジーミルの進めていく想像を、アナスタシアがどのように書き換えていくのか見ていきましょう。
ウラジーミルが『塀』から作ると言ったことには、アナスタシアも賛成します。
「初めに、まず初めに、もちろん塀で囲むよ。じゃないとコテージを建てるための資材を持ち込み出したら、誰かに盗まれてしまうかもしれないからな。
それに種を蒔いても、後で作物を盗まれてしまうかもしれない」
発想が現代人くさいですね。守ることからまず優先して考えるという。
まあでも大事なことですよね。
塀のためにいつもあくせく働かなければならない
ア「一体何で塀を作るの?」
ウ「『何で』って?板さ。いや待て。板だと少々高くつくかもしれない。とりあえず柱を立てて、有刺鉄線を張りめぐらすよ。それで後から板で囲むよ、塀の中でやっていることが見えないように」
ウラジーミルって私すごいと思います。
アナスタシアという、妖精のような世捨て人のような、類い稀な超能力を持つ一人の女性の前で、しかも2回目の再会であるというのに、ここまで天然な回答がナチュラルにできるのですから。
普通だったらちょっとでも褒められたいというか、アナスタシアと同調した回答ができないかと企むと思うんです。
でも、きっと、アナスタシアの目の前で話すということになると、そんなことは読み取られそうで素直にならざるを得ないのかもしれませんね。
アナスタシアもまた真剣に受け止めてくれるし、一言一句逃さず追求してきますからね。
ア「それで、板の塀は修理せずに何年ぐらいもつの?」
ウ「良い木材で、ペンキやニスを塗ったりして、柱も地面にある部分にタールを塗っておいたら、修理なしで5年くらい、もしくはもっと長く立っていられるさ」
ア「その後は?」
ウ「その後は修理するのさ。塀にペンキを塗らなきゃならない、腐食しないように」
ア「つまりあなたは、いつも塀のためにあくせく働かなければならなくなるってことね。
あなたの子どもや孫たちにだって、もっと手間をかけてしまう。子どもたちに骨折りさせなくてもいいように、彼らの眼差しを腐りゆく建物で曇らせないように作る方が良くないかしら?
もうちょっと考えてみましょう、塀を強く長持ちするものにするためには、あなたの子孫たちがあなたを好い言葉で思い出すようになるためには、どうしたらいいのか」
私たちが当たり前に受け入れている”手間”は、本来なくていいものなのかもしれないですね。
でもそれをしないと家はみるからに腐っていくし、建てた瞬間から新築ではない中古品になっていくのです。修繕、修理をしてなんとか潰れない屋根の下で暮らしていくというのが当たり前なんですよね。
1ヘクタールを上質な塀で囲むことは必要か?
ウラジーミルの解釈はまだ現代の資本の渦にどっぷりの状態です。
アナスタシアが言わんとしている「強く長持ちする塀」というものを、素材を上質にするという展開にもっていきノリノリになってきます。
しかし、盛り上がりすぎてよくない一言を放ってしまうのです・・・。
ウ「例えば、煉瓦の柱と煉瓦の基礎にしてもいい。そして柱と柱の間は鋳鉄の格子にする。錆びないんだ。こんな塀だったら100年くらいでも立っていられるだろう。
でも、そんなことをやってのけられるのは金持ちだけだ。全周400メートルもの塀を作ろうと思ったらいくらかかるかわからない。
その代わり、100年、200年またはもっと長くもつだろうが。
一族のイニシャルなんかをつけてもいいかもな。子孫たちはそれを見て、先祖の爺さんを思い出すだろうし、周りの奴らは羨むだろう」
ア「羨むというのはよくない感情。害をもたらす」
ウ「でも、どうしようもないじゃないか。上質な塀で1ヘクタールを囲むことができるような奴はほんのごく僅かな人たちだけだって言ってるだろう」
”羨まれるかもしれない”ということが、新しい家を建てる時に心に湧いてくる感情であることは、誰も否定できないのではないでしょうか。
そして、それはもう”どうしようもない”感情なんですよね。逆ギレもしたくなります。
全くの心からの、純粋な「自分たち一族が永年幸せでいられるように」という思いを持って家を建てる人がこの世にどれくらいいるでしょうか。
木を植える
材質を良くし、お金さえあれば出来そうな方法ではない、もっとシンプルな案があったんです。
これ、思いついた人はいますか?
ナイスアイデア!秀逸な塀!
それは、
「木を植える」
です。
もちろん実践している人もいるだろうし、昔なんてほとんどが「垣根」といった自然素材で囲いをしている家がほとんどでしたよね。
しかし、アナスタシアが提唱する「木の塀」は、ただの囲いではないんです。
ア「後になって朽ちてしまうようなたくさんの柱の代わりに、木を植える方が良くないかしら?」
ウ「木を?それでどうする、木に打ち付けるのは?」
ア「打ちつけたりする必要はないでしょう?ほら見て、森にはたくさんの木が生えている、互いに幹を1.5mから2mぐらいずつ離して」
ウ「ああ、あるね、生えている……でも木の間には隙間がある。塀にはならないよ」
ア「木と木の隙間には通れないような灌木を植えることもできる。
よく観て、想像してみて、どんなに美しい塀ができるか。みんなの塀が少しずつ異なっているの。
そして眼差しは各家の塀に見とれるの。そして子孫たちは、美しい塀を創った人として何世紀にもわたってあなたのことを思い出す。」
この塀の果たす意味とは、
- 修理のために子孫たちの時間を奪うことがない
- 逆に恩恵をもたらす
- 花を咲かせ、実を付け、香りを放ち、色とりどりに変化をもたらす
- 鳥たちを惹きつけ塀から歌が聞こえる
ア「ある人は塀を白樺で造る。もう一人の人の塀は樫の木で。また他の誰かは創造の高まりで色とりどりに、おとぎ話のような塀を造る」
ア「白樺、楓、それに樫や杉、真っ赤な色で燃える実の房をつけたナナカマドを編み込んで、間にはガマズミも植える。ウワズミザクラやライラックにも場所を作ってあげるの」
これが人間のやるべき創造なのだと言っているかのように、この創造を大切にすることで神と繋がることが出来ると想像できませんか?
簡単ではありません。
「全部最初から考えを練ることができるのよ。
1本ずつよく考えなければならないわ、どの土地にどんな植物が育つのか各々がよく観察しなければ。
そして毎日ほんの少しずつ色合いを変えながらその絵を変え、あなたの眼差しは退屈することはない」
ウラジーミルはこのアイデアに共感します。
ただし、いろんな問題も指摘するのです。確かに今すぐにわたしたちがこれを実行できる土地を持っていたとしても、そんなすんなりと絵画のような塀はできませんよね。実際に動く時に起こる問題もあるんです。
1ヘクタールに施すためには…
アナスタシアがただの塀を絵画のように変身させたことに、ウラジーミルは興奮します。
この方向転換が気に入ったのです。
- ペンキを塗らなくていい
- 修理の必要もない
- 大きく育ち過ぎたら薪に使える
- 新しい木を植えて景色が変えられる
ただし、こんな問題も出てきます。
塀を造るのに時間がかかりすぎる
そんな塀を植えるには時間がかかる。
そう思いませんか?
もし2mおきに木を植えるなら、200の窪みを掘って植えないといけないし、灌木もその間に植えないといけないとなると、大変な労働ですね。
アナスタシアはそれには機械を使う案を提示します。
トラクターの一種である重機を使って、
- 外周に溝を掘って、そこに苗木を植える
- それを使ってその苗木に土をかけていく
- 灌木などの種をすぐに植えて、土をかける
- 土がならされていなければ、苗木の1本1本の列を整えてならしていく
これなら一人でやっても2、3日でできてしまいます。
塀が成長するのにも時間がかかり過ぎる
植えた塀が成長するまで、泥棒を防ぐ「壁」の役は果たせない、とウラジーミルは指摘します。
確かに、杉や樫では成長が遅過ぎるし、塀が低いままの状態で何年も続くと不安ではありますね。
しかし、アナスタシアの答えは明瞭です。
「白樺やヤマナラシなら成長が早い。間に植える灌木たちも早く育つ。
急ぐのだったら、既に背丈が2mある苗木を植えてもいいわね」
要は、植物たちは完全にわたしたちのために存在してくれているということなんです。
ちょっと考えれば、アナスタシアが考えたものだけではない、いろんなアイデアが思い浮かぶはずです。
植物や木に詳しい人なら”お茶の子さいさい”ですね、きっと。
ウラジーミルには残念ながらその知識がちょっと足りなかっただけで、アナスタシアの提案がすっかり気に入り、
「よし、生きた塀はできそうだ。とても気に入ったよ。次だ、君は土地の中のコテージの構造をどんなふうに考える?」
次です。
あなたなら何に手をつけますか?
ウラジーミルはちょっと先走り過ぎたようですね…。
つづく
1ヘクタールの土地に、まだ塀を造っただけです。
しかし、その塀がとてもいいですね。
考えただけでワクワクしませんか?
きれいにコンクリートで整備し、はみ出さないようはみ出さないよう、草が生えないよう生えないよう、そんな心配をしながら朽ちていく家を眺めて死んでいくのは嫌ですね。
生きた塀に囲まれ、その中にそれぞれのオアシスが構築されていき、何世代にもわたってそれが迷惑なものに成り下がらず、有効でありがたいものであり続けられる家。
おとぎ話のようでもありますが、やってやれないことでもない気がします。
では、次の想像(創造)は一体なんでしょうね。
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。