アナスタシアの原点である【シベリア杉】ですが、これが杉の木ではなく松の木だというのを、どう受け止めたらいいのでしょうね?
杉の木ではないんですよ。でも松とは表記しないんですって。
それには諸説あるようですが、単純に、シベリアにしか生息していない松の木であるこの木を、初めてこの地を訪れた人がそのスラッとした容姿を見て「シベリア杉」と呼んだことが始まりだという説が有力のようです。
著者のメグレ氏も、この植物を「松」と呼ぶべきではないと言及しているので、原書も日本語訳も「杉」です。
???
頭の中で「杉」と「松」がうやむやのまま、気付けば何時間も「杉と松の沼」にどっぷりでした、スーです。
本日もお越しいただきありがとうございます。
私なりに調べてみたところ、wikipedia先生を頼りに…、
スギ属の中には日本固有の「杉」以外の木もあります。
松という大きなくくりの中に、杉やモミやヒノキが属しているという感覚でしょうか。
そして、
シベリア杉は「松」なのです。しかし、シベリア杉は実際にシベリアにしか生息しない特殊な木であり、特徴も杉とよく似ているそうです。
同じマツ科の「ヒマラヤスギ」「レバノンスギ」という木があるように、「シベリアスギ」という名前の木ということでひとまずこの沼は抜けましょう。
シベリア杉と松が重なった今、松についてもどうぞ見解を深めてくださいね。
杉の木の癒しの特性
奇妙な2人の老人との出会いがあった船旅のあと、メグレ氏は雑務や商売上のことに没頭し、シベリア杉の話をすっかり忘れていました。
しかし、なぜか突然、激しい痛みに体を襲われるというアクシデントのおかげで、居心地のいい病室の静けさの中でそういったざわめきから遮断されたとき、再び頭の中に蘇ってきたのは老人たちの言葉ばかりでした。
病室のベッドの上で杉の木に関する調査に夢中になるのです。
民間療法としての優れた効果
民間療法に関する書籍に記されたことを見比べるうちに、2人の老人が語っていた内容に改めて驚嘆することになります。
特に、北方に育つ杉は南方に育つ杉よりも、癒し効果においても木材としても品質が著しく高いと記されていたのです。
こういったことが本当にたくさん書かれていたのです。
杉にまつわる不思議な現象“グレゴリー・ラスプーチン”という人物
さらに、杉にまつわる不思議な現象が、歴史上たくさん起こっているのです。
そのひとつの例が、『グレゴリー・ラスプーチン』に関する現象です。
1907年、50歳のときにシベリア杉の群生する人里離れた村から、首都ペテルブルグにやってきて皇帝に謁見した際、的中する予言で皇帝とその家族を驚愕させたといいます。
その並外れた体力・活力・祈祷力を妬み、彼に反感を抱く者もたくさんいました。暗殺を試みた者さえいました。
しかし、銃弾を蜂の巣状に受けた体でまだ生きていたという逸話もあり、それは彼がシベリア杉の生い茂る地域で杉の実を食べて育ったからではないかと、メグレ氏は推測します。
そのスタミナがどれほど驚異的だったかというと、彼の日課を知れば一目瞭然です。
「50歳という年齢で、彼は飲めや歌えやの酒宴を正午に始め、午前4時まで飲み続ける。どんちゃん騒ぎと酩酊状態から抜け出してまっすぐ教会の早朝祈祷に行き、そこで朝の8時まで立ったまま祈る。それから帰宅し、お茶のあと、何事もなかったかのように、午後の2時まで来客の応対に忙しい時間を過ごす。それから、ご婦人方数人を選び、彼女らを従えて温泉浴場に出かけて行き、そのあと、郊外のレストランへと車を走らせる。そこで彼は前の晩と同じことをくり返すのだ。ふつうの人間はこのような日課をこなせるわけがない」
引用:「アナスタシア」より
これは20歳の若者にもそうそう続けられる習慣ではないですよね。
多くの女性たちを魅了したのは、この男らしさとバイタリティーなのでしょうか…。
旧約聖書には24回も杉の木が出てくる
様々な杉に関する効能を知ることができたメグレ氏ですが、やはり誰でも手軽に確認できる書物である『聖書』、そこに書かれていることを知ったときが、もっとも彼の疑いが一掃されたときなのでした。
世界的に知られる数々の奇跡や不思議な現象も、このシベリア杉の神秘に比べれば、ちっぽけなことに思えてくるのです。
旧約聖書『レビ記−14章』
旧約聖書のモーセ5書のうちのひとつ、『レビ記−14章』に、らい病の人を清める方法が記されているのですが、その第4節には、なんと、シダー、杉を用いて清めるとはっきり書かれていたのです。
さらには、住居のデトックスの方法までも書かれていました。
旧約聖書『列王記上−第5章6節』
『列王記上ー第5章6節』にはソロモン王がエルサレムに建てた、かの有名な杉の神殿、これについても謎めいたことが記されているのです。
「ソロモン王は神殿建設のために必要なレバノン杉を、ツロの王ヒラムをとおして入手し、そのお返しに、ガリラヤの地にある自分の王国内の20もの町をヒラム王にあげた」
いくら貴重で最良の品質とはいえ、しょせん建築資材です。それと交換に20もの町をあげてしまうというのはちょっと異常ではないでしょうか。
そしてこれだけではないんです!
「ソロモン王はさらなるお礼として、杉の木を切り出すヒラム王のしもべたち、つまり、『木を切るに巧みな者たち』への賃金を支払い、ソロモン王のしもべたちを彼らの見習いとして一緒に働かせると約束した」
ソロモン王の、レバノン杉に対する思いの強さがはっきりとわかりますね。
それにしても『木を切るに巧みな者たち』とは一体どんな人たちなのか?
建築用の優れた木を見定めることができる人というのは、今も昔もある程度は存在していたと思います。特に旧約聖書の時代にはほとんどの人が自然と密着していたと思われ、誰もがそのような能力を備えていたとしてもおかしくありません。
その中でも何か特別な能力を持ち合わせていた者、そういう人たちが選ばれていたということなのです。
ほかの木の記述は全くない
旧約聖書には杉を特別な木とする記述が多く見られますが、ほかの木についてはそうした記述が一切ないのです。
これは、聖書が、自然界に存在するもののなかでも、杉の木が最も驚嘆すべき力を持つもののひとつであることを示しているのではないか、と思われるのです。
こうなってくると、シベリア杉がただの木、ただの植物とは思えなくなってきますね。
杉とはなんなのだろう?
これはあらゆる病を癒す薬の複合体、つまり万能薬のようなものなのだろうか?
謎は深まっていくばかりですね…。
その他の宗教に見る「杉」の記述
メグレ氏は調べれば調べるほど、老人たちの言っていたことが信ぴょう性のあることだと気付いていきます。
今までなぜ誰もこのことに気づかなかったのか?
旧約聖書と、19世紀の自然科学、そして現代の科学、これらをくらべあわせてみれば、杉に関する見解が一致していることが明確になるということに。
ロシアの宗教家の見解
ロシアの宗教家、エレナ・イワノヴナ・レーリッヒはこう述べています。
「杉の樹脂を入れた聖杯はかなり古くから用いられており、古代コラーサーンの王たちが清めの儀式をする時に用いていた」
「キリスト教伝来以前に古代ガリアやケルト族の間で信仰されていた『ドルイド教』の僧たちも、杉の樹脂を入れた聖杯を用いており、それは“命の聖杯”と呼ばれていた」
「ゾロアスター教の火の崇拝も、聖杯の中で燃える樹脂を用いて行われていた」
私の見解
日本の神社にも、杉はシンボリックな存在として祀られていることが多いですね。
屋久島に見られる樹齢1000年を優に超えた屋久杉、東北地方にも天然の秋田杉があります。
これはもちろんシベリア杉とは違って、日本固有種の正真正銘の「杉」なのですが、この「杉」というものがそもそも神木としてのパワーを持っているからこそ、わざわざシベリアマツを「シベリア杉」と呼ぶことにこだわっているのではないか、なんてことも思ってしまうのです。
杉は木の中でも最長の寿命を誇り、さらに成長した幹は、それ自体が怪獣のような生き物のような大きな生命体となります。
古代の日本人が神様として祀ったり、「神社」という神の社の建築に使用した理由もその見た目と醸し出すオーラのようなものによるところが大きかったのかもしれません。
そして、そうやって大切にしてきた杉の生育に、人間が勝手に人工的操作を加えたことによって「スギ花粉」が大量発生して生態系を狂わせているのが現況ではないでしょうか。
まとめ
自然界に手を入れるということは、神の領域を侵すことに匹敵すると思えてきますね。
こういった行為は世界中至る所でなされています。
昔の王や支配者たちは木の1本1本にも敬意を評して、その命をありがたく利用していたのかもしれません。
シベリア杉のように音を発することで知らせなくとも、植物たちは何かしら私たちに訴えていることがあるのかもしれません。
メグレ氏が杉の不思議にのめり込んでいく過程で、ある昔の記憶が蘇ってくるのです。
その時はさほど深く考えていなかったことで、それまで忘れていたことなのですが、こうして「シベリア杉」について考えを巡らしていく中で、ふと表面に浮かんできたのです。
それが、「杉の実のオイル」についてのある取引での出来事です。
ここにも自然界の素晴らしい効能を独り占めにし、誰にも知られないように作為しようとする闇の力が働いているかもしれないのです。
それについてはこちらの記事ににまとめましたので、よかったら覗いてみてくださいね♪
本日も最後までお読みいただきありがとうございます。